下町風俗資料館ではこのような展示も行われていた。
五右衛門風呂にはじまって、
銭湯入口の再現と、入浴にまつわる諸々である。
日本人の風呂好きは、数百年の伝統を持つ。
なんといっても熱気濛々の湯船の中で村議会を開いてのけた豪傑連まで居たほどだ。筋金入りとしか言いようがない。
信州上田は別所温泉に語り継がれる巷説である。
漫画家の安本亮一が伝える。
その昔こゝの村長南条吉左衛門さんは大の風呂好きで家にゐない時は大がい温泉の湯ぶねにひたってゐた。それで何か村に問題が起ると村会議員の面々、村長を訪ねたあげ句が風呂の中で時々、臨時村会が開催された。面々、みなみな裸体で、片手で前をおさへ、片手で髯をひねくりながら、「さりながら本員は……」などとやってゐる図はけだし前代未聞の珍景だったらう。(昭和三年『現代漫画大観7 日本巡り』203頁)
(別所温泉、昭和初期)
南条吉左衛門が同所の戸長に就任したのは実に明治七年のこと。
二十二歳の若さであった。
血の灼熱する時期である。ついつい稚気を抑えかねるのも無理はなかろう。ほんの十年以前まで江戸時代が続いていた頃なだけあり、公務員のこういう態度をとりたてて問題視する向きもなかった。
救急車がコンビニに立ち寄っただけで発狂同然の抗議が舞い込む現代日本社会とは、まさに隔世の感がある。文明化とは人間が小うるさくなることなのか。そうであって欲しくはないが、さて、どうだろう。
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