穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

排日盛んなりし支那 ―東恩納の見た福建―

 

 温泉の効能を一番最初に教えたのは、猿や鹿などの物言わぬ野生動物であったとされている。


 傷ついた鳥獣が湯気立ち昇るその中に凝然と身を浸すうち、だんだん元気を回復し、ついには元の活発さを取り戻す――一連の経過を目の当たりにして、人間もこれに倣いはじめた。斯くの如き伝承は、それこそ枚挙に暇がない。

 

 

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 そんな土壌へ、仏教が更なる改良を加えた。


 経典には古代インドで通用していた入浴法が事細かに記されている。かてて加えて留学帰りの高僧どもは、高度に整えられた入浴設備が人をしてどれほどの歓楽境に誘い込み、また健康機能を増進させるか、唐土にて身を以って味っている。


 布教・伝道の手段としてその利用を目論むのは、当然すぎるほど当然だった。


 光明皇后の千人施浴などは、その最大例といっていい。なんのことはない、ありようは後年のキリスト教と同様だ。宣教師どもがまず西洋の「進んだ」文物――ワインや地球儀、火薬など――で現地人の度肝を抜き、その衝撃から発生した心理の隙間に神の言葉を流し込んでいったが如く、文明の裏付けあってこそ、布教というのは上手くいく。


 奈良朝から平安朝にかけて、あるいは山間の湯を開き、あるいは海辺の塩風呂をすすめ、その効能書にさりげなく「御仏の加護」を盛り込むことで、仏教は飛躍的にその勢力を伸ばしていった。


 同時に原始神道「禊ぎ」の風習とも和合して、浴場はますます発達してゆく。

 

 

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 前置きがだいぶ長くなったが、こうして培われた「風呂好き」の日本人の性癖を、東恩納寛惇もまた濃厚に受け継ぐ一人であった。


 現に彼は昭和八年の旅の終盤、タイ、ビルマ、インドを経てインドネシアの島々をめぐり、漸くのこと福建省まで帰ってきた際、旅館に着くなり「何はともあれ一風呂」ということで、さっそく湯を求めている。


 宿の名前が「大和館」で、日本人街の只中にあったことから内地式の浴場を期待したとみていいだろう。


 ところが浴場に下りるなり、希望にふくれた東恩納の胸は急速にしぼまざるを得なかった。

 

 

China Fujian

 (Wikipediaより、赤い部分が福建省

 


 湯に、一種の臭気がある。


 東京のどぶ川を思わせる臭いだ。


 それもそのはず、この旅館の水事情はその悉くを閩江に仰いでいるというのである。

 


 閩江には福州特有の水上生活者が無数に群居してゐて、盛に汚物を放流する。その水を汲んで市民は茶飯の用に供してゐるのである。(『泰 ビルマ 印度』316頁)

 


 湯の中に、どれほどの大腸菌がうごめいていたのか。考えるだにおぞましい。


 洗面器の意匠も、大いに東恩納を辟易させた。まず、中央に交叉した銃剣がある。


 その周囲に「倭奴未滅、何以家為、共赴国難、枕戈待暁」だの「抵抗日貨 永矢勿忘」だのとかいった、まことに激しい文句が並ぶ。


 更に外周を取り巻くように、突撃姿勢の兵士たちが描かれているときては何をかいわんやだ。湯から上がるや、たまりかねて主人に苦情を申し立ててみたものの、反応はあまり芳しくない。

 


 毎日是で洗面させるのはひどいと思って主人にかけあって見ると、この外に洗面器はないと云ってゐた。(同上)

 

 

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(閩江)

 


 この昭和八年という時期は、上海事変満州事変といった支那の天地を轟かす大変動が立て続けに起きたばかりの時節であって、反日熱が限界を超えて煮えたぎっていた、まさに激動のときである。


 日本人野郎に思い知らせろという絶叫が、巷に氾濫していたといっていい。


 大和館の壁をよくよく見れば、


「打倒日本」
「打倒帝国主義


 の落書きが。
 バス停を覗けば


「勿忘国恥」
「天理何存倭」


 の墨痕が生々しく翻る。


 当時の支那は何処へ行ってもこんな具合で、「同文同種」などという日本からの呼び掛けが、その実何らの効果も示さない、うそ寒いだけの空虚なまやかしに過ぎなかったことを十分に証拠立てするものだろう。

 

 

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(福州市馬尾区)

 


 大洪水に対する支援の手すらはねのけた中国国民党の一連の態度を東恩納寛惇は、「老獪なる欧米の外交工作に操られて、その鉾先を手近な日本に差向け」てしまった結果であり、この大誤算から早急に醒めよと警告するが、あまりにも甘い見立てと言わねばならない。

 


 中国人が反日精神から脱却するなど、永遠に断じて有り得ない。

 


 市川正憲兵大尉が死と引き換えに悟ったように、日支間にはただ血の対立あるのみである。


 そうとも知らず、あくまでこれと提携する夢を棄てきれなかったことが、大日本帝国の不覚であった。


 この過ちから深甚なる教訓を引き出すことこそ、後世に生きる我々にとっての義務であろう。

 

 

日中戦争は中国の侵略で始まった

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  • 作者:阿羅健一
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