穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

ジャワの名物、首と大砲 ―Ex me ipsa renata sum―

 

 昭和八年をほとんどまるごと費やして南溟の国々を行脚した、一連の旅を東恩納寛惇は、以下の如く総括している。

 


 私の一年に亙る旅行の目的は、日本を中心とする東亜諸民族の過去の足跡を辿る事にあった。然るに、それ等の足跡は、最近二三百年の間に、欧米人の大きな靴の跡に悉く踏みにじられて了って、今ではそのおもかげを偲ぶよすがもないことに痛歎させられたものである。(『泰 ビルマ 印度』403頁)

 


 彼がジャワで目撃した光景は、まさにそうした「白人による蹂躙」の代表たるべきものだったろう。

 

 

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 スマトラとバリ島の間に東西に長く横たわり、現在ではインドネシアの首都が置かれてもいるこの大島。


 ユーラシアプレートにインド・オーストラリアプレートが潜り込むスンダ海溝を南にひかえ、その都合上地震が多発し火山も多いこの地には、他に類を見ない一種異様なシンボルがある。


じゃがたら首」と称される、生首のセメント固めがすなわちそれ・・だ。より正確に述べるなら、石壁を切り出した碑の上に顎から頭頂まで槍によって串刺された人間の頭蓋が飾られている。

 

 

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 この首の本来の持ち主は、ピーター・エルベルフェルトなる男。現地の女とドイツ系の男の間に生を享けた混血で、1722年4月7日、オランダ植民地政府の転覆を企てた廉で断罪された。


 その処刑は酸鼻を窮め、彼と彼の同志19名は生きながらにして地獄の責め苦を背負わされ、死への道程をむごたらしく歩かされたと伝わっている。


 心臓の停止は、彼らにとってむしろ救いですらあったろう。


 にも拘らず、オランダ人達はなおも腹の虫がおさまらなかったものと見え、ついには死体の凌辱というあからさまな禁忌にまで手を出した。
 白人が有色人種をヒトと看做していなかった歴史を、よく象徴した事件であろう。


 ピーターの首が据え付けられた石碑には銅板が嵌め込まれており、態々オランダ語とジャワ語とで同一文が刻まれている。その文章を、東恩納は以下の如く和訳した。

 

 

反逆者ピーター・エルベルフェルトの呪はれた記念の為に、此の土地には人も棲むこと勿れ、樹も育つこと勿れ、永遠に荒れてあれ。

一七二二年四月十四日

 

 

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 ジャワ島にはもう一つ、東恩納の脳裏にあざやかに印象されたものがある。


 バタビアの街の入口に転がっていた、旧い一門の大砲だ。


 由来については、誰も知らない。よほど古くから放置されているものらしく、砲身は半ば地面に埋もれ、砲尾だけが控えめに半分露出している。


 いつからか、現地民がピーター・エルベルフェルトを偲ぶ際には、この大砲に香華を手向けるのがならわしとなった。

 

 

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 物語まで生まれた。古老の語ったところによれば、この大砲は元々雌雄対として存在していたものであったが、あるとき不幸が襲って以来、その絆は引き裂かれ、二門は離れ離れになってしまった。


 あるべきところにあるべきものがない。実にこれこそ、ジャワの不幸の源である。


 しかし心配は要らない、いつか星が正しく巡れば、この大砲にも再びつがいと寄り添える日がやってくる。而して実にその日こそ、永きに亘ったオランダの覊絆が断ち切られ、自由と幸福が齎されるときである――と、要約すればこんなところか。


 鰯の頭もなんとやら、南半球まで場所を移せば妙なモノが信仰対象になるものである。

 


 夢のやうな望みに繋がれて、不思議な古砲の前には、今も香花の絶えた事がない。(401頁)

 


 東恩納の文章からは、若干の痛ましさが伝わってくる。

 

 

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 砲尾にラテン語「Ex me ipsa renata sum」――「私自身から、私は生まれた」と刻印されたこの大砲は、その後地中から掘り起こされて、ジャカルタ歴史博物館に展示される運びとなった。

 


 2020年現在も、彼はつがいと再会できないままである。

 


 一方、ピーター・エルベルフェルトの首はと言うと、1942年、この地からオランダを追っ払い、新たに進駐して来た大日本帝国の働きによって、一度は地上から姿を消した。


 同年4月28日付で厳粛な撤去式が営まれたと記録にある。東恩納がジャワ島に足を踏み入れてから、わずか9年後の出来事だった。


 が、大日本帝国の敗戦後。この地の再植民地化を目論み、舞い戻ってきたオランダの手でピーターの頭蓋は再び引っ張り出される破目となる。


「交通の妨げとなる」という理由から場所こそ移されはしたものの、「じゃがたら首」は今も槍に貫かれたまま、むなしく宙を睨んでいるのだ。

 

 

インドネシア紀行―親日の炎の中へ

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