穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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日本は「アジアの盟主」たりうるか ―20世紀からの声―


『外人の見た日本の横顔』を読んでいると、ほとんどの書き手が近い将来、日本がアジアの主導的地位を占めることを疑っていない。


 国力、気概、諸々の要素を勘案して、それが一番順当であると無造作に受け入れている雰囲気がある。


 コロンビア大学の法学教授、S・M・リンゼーなどはその展望を最も明け透けに語った一人であって、彼の言葉をそのまま借りると、

 


 なんといっても支那といふ国は、日本の助けを借りなければ、経済的にも政治的にも、安定を計ることはできないであらう。なんといっても、これは大事業である。もちろん支那は、古い国だけに、他の国には見られないやうな、大きな特典を有してゐる。だから、極東における指導者としての日本を認めることは、支那のプライドを傷けるものであるかも知れない。しかし新しい世界の動きを、正確に見てゐる優れた支那の人は、日本の地位を認めざるを得ないであらう。東西両洋の文明を打って一丸となし、しかも両洋の最も優れた、現代生活に適応することによってはじめて日本の位置の確立を見たからである。(170頁)

 


 どれほど気に喰わなくともそれが現実なのだから、理性ある人間である以上、アジアの覇権が支那から日本にとうに移っていることを、いずれ支那人自身も受け容れざるを得なくなろう。
 その新機構を受け容れて、新たな盟主の懇切丁寧な指導を仰ぐことにより、漸く支那も健全な発展を遂げるに違いない――と、至って楽天的に書いている。

 

 が、この観測。


 甘いとしかいいようがない。


 リンゼー教授は明らかに、中華思想の根深さを侮っていた。

 

 

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コロンビア大学

 


 中華が、支那が、漢民族が、日本の二番手に服することなど天地が逆転しても有り得るものか。彼らにとって日本人とは未来永劫「倭」であって、人と獣の中間であり、文明人たる「華」を悩ませる「東夷」以外のなにものでもない。


 日本が支那に優越するなど、それだけでもう華夷秩序への叛逆であり、天人倶に許さざる大悪事であるだろう。日支親善なぞ、所詮は絵に描いた餅であるのだ。


 そこをいくとベルギーの記者、ピエール・ダイイ氏の方がより強固な現実認識の基盤の上に立っていた。


 ――どうも日本は、日本以外のアジアの国から。


 あまり好かれていないのではなかろうか、ということが、実際に彼の地を巡歴したピエールの出した結論だった。


 その理由に関しては、

 


 之は日本が大成功をするので嫉妬から来るのは疑の無い所である。(41頁)

 


 無惨なまでに直截な表現といっていい。


 が、間違いなく真理の一面は穿っていよう。ORCA旅団の副団長、メルツェルが喝破した如く、小人の妬心ほどおそるべきものは世にないのだから。

 

 

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(ベルギー国旗) 

 


 むろん、ピエール記者の分析はただこれのみに終わらない。

 


 特に日本を批難する点は其領土上又は其他の欲望、其野心、印度及支那の国民が嫌忌する西洋との馴合である。亜細亜人は日本人を恰も白色帝国主義其ものの権化の様に考へてゐる。(同上)

 


 こうした感情のささくれ立ちが、如何に抜き差しならない領域にまで至っていたかは、排日移民法の制定を機にこれ以上ないほど浮き彫りになった。


 1924年アメリカに於いてこの法案が制定されるや、大日本帝国は朝野を挙げて総発狂の態を示した。


 人々は悲憤し慷慨し、黄禍論が如何に一方的なこじつけで迫害の悪意に満ちているかを口々にののしり、ついには米国大使館の門前で自殺する輩まで出現するという始末。なお、この自殺をピエール記者は、「最も古い日本式名誉の法則に従ひ、国民的抗議の象徴として」なされた行為と説明している。


 一貫して正確さを失わないこと、彼の見立てはいっそおそろしいばかりである。

 

 

Seppuku

Wikipediaより、切腹

 


 が、しかし、灰神楽の立つような騒ぎを演ずる日本に比べ、他の黄色人種の反応は冷ややかだった。
 それどころかピエール・ダイイは、旅の道すがら遭遇したベトナム人が、


「我々の地方に『白禍』を突然誘い入れた日本人が、いまさら『黄禍』を語り出すのはあまりに大胆じゃあないか」


 そう言って口の端を歪める様を、確かに目撃してしまっている。


 べつに日本人が呼び込まずとも白人は白人自身の意志でアジアに殺到して来ていたし、その貪婪な食欲にまかせて方々の土地を切り取っていた。


 むしろそういう、周辺諸国が軒並み白人の侵略に遭い、植民地化され生血を啜られ半身不随に陥っているような惨状をまざまざと見せつけられたればこそ、ああはなってなるものかと激烈に危機感情を刺激され、攘夷熱という維新回天の大業を遂げるエネルギーが湧きもしたのではないか。


 が、嫉妬に基く「日本憎し」が先にある彼らにとって、そのような因果関係はどうでもいい。

 当たり前に無視された。

 

 

Kenpohapu-chikanobu

 (Wikipediaより、憲法発布略図)

 


 ――斯くの如く。


 悪感情の矢がハリネズミのように全身に突き刺さってしまっている日本が、アジアの指導的地位を占めるなど、いったい有り得る筋であろうか?


 賢明なピエール・ダイイはそのあたりの結論を敢えてぼかして、亜細亜欧羅巴との接触を有せざりし時代に於て一層幸福ではなかったか?」と抽象的な観念論をかつぎ出し、読者を巧みに煙に巻く。


 日本に長逗留しただけあって、察せよ・・・行間を読め・・・・・というこの国古来よりの伝統が、すっかり馴染んだようではないか。

 

 

 

 

 


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