穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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セキセイインコとジュウシマツ ―続・投機対象の動物たち―

 

民俗学と聞けば大多数の日本人がただちにその名を連想するに違いない、かかる道の大権威。――柳田国男が、昭和二年に瀬戸内海の北木島を訪れた日のことである。


 船中だろうがそのあたりの道端だろうが、島民が三人以上集まれば、話題は決まってセキセイインコジュウシマツのことばかり。大正の御代に盛り上がり、今やすっかりバブルと化した小鳥ブームの旋風は、総面積わずか7.5km²にも満たないこんな小島の上空にまで吹き荒れていたというわけだ。


 その事実に、柳田は心底にがりきっている。ここまで足を運んでなおも、芬々たる俗臭から逃れることはできないのかと――。

 


 呑気な田舎の旅をする者の大切な楽しみはなくなった。小鳥はいいものに相違ないが、こんなにまで世の中を占領しては、うんざり・・・・せざるを得ぬ。(『経済随想』362頁)

 

 

Kitagishima-Kanaburo1

 (Wikipediaより、北木島

 


 私は以前、「モルモットと錦鯉」「更紗兎とチベタン・マスティフ」といった記事をしたため、投機対象と化した動物について幾らか述べた。


 あれらが明治初頭の現象だったのに対し、今回触れるセキセイインコやジュウシマツはその「大正版」と思ってくれていいだろう。半世紀を経てなお、日本人は似たような愚行を繰り返していたというわけだ。


 ブームの以前、ジュウシマツを購うには五十銭も出せば充分だった。


 それも一匹だけではない、オスメス番いになってこの値段である。


 ところがちょっと目を離した隙に、五十銭が一円になり、一円が三円になり、三円が十円二十円にと、指数関数的な高まりを示すその価格。最終的には泡がはじけるように暴落し、「小鳥恐慌」と呼ばれる阿鼻叫喚の地獄絵図を現出したところまで、なにもかも嘗ての愚行を忠実になぞりきったといっていい。

 


 官吏だけは小鳥で儲けようとしてはならぬと、訓令をだした県もあるさうだが、現に薄給の人たちが、それで漸く洋服を作ったり靴を買ったりして居るのだから致し方が無い。あまり喧しくいへば役人の方を罷めて、小鳥仲買にでもなり兼ねぬ勢ひだから始末がわるい。その癖何のためにと問へば売れるからと答へるの外は無く、買ふのはたれかと聞けば今では殆ど全部が、また売って利を見ようといふ人ばかりである。(363頁)

 

 

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 柳田国男北木島を訪れたとき、まだ恐慌には至っていない――「泡」の張力が限界に達しつつあった時期なようだが、こうした光景を目の当たりにして、破綻は近いと自ずから悟るところがあったという。


 本来の価値を遠く離れた、投機のための投機。


 空恐ろしいばかりに「根拠」を欠いたこんな景気が、そう長続きする筈がないではないか。


「しかし」


 と、続けて柳田は慨嘆している。


「もはやこの流れは如何ともし難い。一人一人が金勘定の夢ばかり見ている間は、個々の生産者どころか経済学の先生方とも、産業の要不要を談ずることはできないだろう」


 この民俗学者の口を借りれば、「流行とは病理」に他ならなかった。


 にも拘らず経済はいつもこれに追随している。


「従って熱が覚め狸が落ちたやうな場合になって、悪くいへば遅鈍、よくいへば比較的堅実であった人が、背負ひ込んで損をすることは困ったものだ(364頁)


 これに酷似した状況を、我々は遠近十数年の社会にさえいとも容易く発見することが出来るだろう。


 経済に関しては門外漢であるにも拘らず、柳田の慧眼はある種の哲理を間違いなく見透していた。

 

 

Kunio Yanagita

 (Wikipediaより、柳田国男

 


 同時に柳田が心配したのは、暴落後の小鳥たちの行方である。


 二束三文ですら引き取り手がなくなれば、もとより金儲けが主題であって小鳥を愛玩する気分など欠片も持たない連中のことだ。大して深い思慮もなく、空に逃して終わりだろう。

 


 日本の野山に再び小鳥が多くなり、そこでもここでも鳴いて居る時は今にくる。それも何だか楽しみのやうだが、考へて見れば彼等の食料は粟、稗だ。(同上)

 


 柳田国男は、農家にとって鳥害が如何に深刻な悩みの種か知っている。


 山深い農村を訪れて、雀追いの火縄銃をぶっ放す百姓相手に取材を試みた経験がそれを教えた。とくれば今を時めくセキセイインコやジュウシマツが、やがては新たな害鳥として憎悪を向けられる可能性とて、まんざら否定しきれないのではなかろうか。

 


 碌な資本もたまらぬうちから、直ぐに消費事業の大会社などを起こして、瞞してでも取って儲けやうといふのが事業家である。その尻押しをする政客は多くても、国のために生産の急不急、消費の当否を考へる公人は居ない。国が貧乏する原因はよくわかって居る。今度はセキセイインコ等がまた実物教育をしてくれるだらう。(365頁)

 


 日本民俗学の泰斗は、暗澹たる物言いで一連の小稿を結んでいる。


 この「教育」の効果は、遺憾ながら未だ十分に挙がっていない。

 

 

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