その奇妙な日本人に遭遇したのは、権現様の鎮座まします、日光東照宮に於いてであった。
富士山と並んで外国人観光客の間に膾炙されたこの聖地。米国の著述家、マーティン・ソマーズも御多分に漏れずここを訪れ、朱塗りの神橋や苔むした石燈籠に恍惚となり、夢に描いた幻想郷を心ゆくまで堪能していた。
日光は今や永遠の平和に包まれてゐた。そして私達の心までが、その平和の雰囲気に支配されるやうな気がしてならなかった。それ所か、先程薬師堂の本堂まで一緒に行った、あの信心深い参拝者のやうな気持さへしたのであった。また参拝者の熱望してゐる霊的満足さへも体得することが出来たやうな気がした。(『外人の見た日本の横顔』718頁)
(吉田博 「日光」)
斯くの如き夢見心地は、しかし一人の日本人青年の出現によって、急速にやぶられる破目になる。
頭上には麦藁帽子を頂いて、赤銅色に日焼けした、豊かな筋骨をカラー付きのシャツで隠し、蝶ネクタイまできちんと締めたその上に、何故か着物をいちまい羽織り、足に履くのは洋靴という、キメラめいたその格好。
あんまりにもな
「誠に失礼ですが、あなた方はアメリカからお出でになったのではありませんか」
語調に少し変なところがある以外には、文法上から見ても非常に正確な英語で話しかけたからたまらない。
いよいよもってソマーズは、白昼亡霊と出くわしたほど驚いてしまい、しばらく口が利けなくなった。
やっとのことで如何にも自分はアメリカ人だと答えると、青年はそのあたりがにわかに明るくなったかと錯覚するほど陽気な笑顔を浮かべてみせて、ありがとうと礼を言い、
「しばらく話しませんか」
と誘いをかけた。
若干の躊躇が残留してはいたものの、青年の無邪気な喜びについ釣り込まれ、ソマーズはこれに頷いてしまう。アメリカのどちらからお越しでと訊かれ、ニューヨークと答えるや、青年の興奮はいよいよ狂わんばかりの域に達した。
彼はニューヨーク・ヤンキースの野球選手、ベーブ・ルースの狂信的なファンだったのだ。
(ベーブ・ルース)
「いやどうも有難度う御座いました。私は学校の野球の選手なんですよ。だから何時も、有名なホームラン打者ベーブ・ルースの記事を読んでゐます。多分あなたはお会ひになったことがあるでせうね。何かベーブ・ルースの話を聞かせてくれませんか。一体世界のどの選手よりも、五十呎も向ふにボールをカッ飛ばすと云ふのは本当なんですか」(719頁)
愛好分野について語り合える相手を見付けた際の、オタクの饒舌ぶりというのは今も昔も変わらぬらしい。青年の口からは滝のように英単語が発射され続け、それが二時間経っても一向に止む気配がなかったというからなんとも凄まじいではないか。
その一二〇分中に、マーティン・ソマーズの側にまでなにやら青年の熱狂ぶりが伝染し、ステッキをバットに見立ててベーブ・ルースのスイングを真似るという大盤振舞いまでやってのけたからたまらない。昭和八年の日本旅行で、特に印象深い記憶となった。
(ベーブ・ルース)
昭和初期とはスポーツの分野に於いても日本人が着々と、頭角を現しつつあった時期である。
馬術に於いては言わずと知れた、バロン西こと西竹一が。
三段跳では織田幹雄が。
テニスでは原田武一が。
ビリヤードでは山田浩二が。
目も眩むほど優秀な成績をそれぞれ残し、日本人の宿痾たる欧米コンプレックスの解消にも多大な貢献を果たしてくれた。
しかしながらそのような流れの中にあっても、これだけは未来永劫日本人は外国人に敵うまいと目されていた競技があった。
フットボールのことである。
如何に機敏な動きができても体格で大きく劣る以上、こればかりは勝利の見込みが存在しないと欧米人のみならず、当の日本人自身諦めきっている雰囲気があった。
ところがこの「常識」に果敢に挑み、しかも一定以上の戦果を上げた集団がある。慶応大学ラグビーチームの面々こそが、すなわちそれだ。
これについては同校のOBであり、福澤諭吉の薫陶を受けた政治家にして実業家、波多野承五郎に於いて詳しい。常に水のような冷静さを保ち公平な視点を失わない承五郎が、この時ばかりはつい喜びを抑えかね、一文字一文字を踊るような調子で書き込んでいる。
今春、慶応のラグビー選手が上海の英人選手と戦った時の成績を見ると、一長一短で相応の成績をあげて居る。上海の選手中には、本国名うての選手が四五人も交って居た。そして上海選手の身長は平均五尺八寸、慶応方は五尺四寸に過ぎない、殊に英国選手の一人なるゴールドマンは蹴球の技量に於ては世界的名声のある人で、その蹴るや必ず百発百中であるのだ。斯う言ふ人達を相手にして戦った慶応は、点数では負けたが、トライでは勝って居る。スクラムを組めば一押しに押倒される筈であるのに、慶応方が却って玉を出して居る。それは慶応システムと名づけられる新工夫の組方があるからだ。そして上海の英人チームは本国チームに較べて大に劣って居るのでもないに拘らず、慶応が之程の成績を得たのは頼母しい。(『梟の目』361~362頁)
身体能力で劣る以上、技量に工夫を凝らして勝つ。
実に人間的な営為のあらわれといっていい。波多野承五郎は続けて運動通の某君の、
「日本のラグビーは二三年の後、必ず世界的の名誉を博する時が来るに違ひない」
という言葉を引用し、そんな日が一日でも早く来て貰いたいものだと期待に胸を膨らませている。
去んぬる2019年、我が国で開催されたラグビーワールドカップに於いて、日本代表選手団が如何に目覚ましく活躍したかは未だ記憶に新しい。彼らはかつてない躍進を遂げ、見事ベスト8に名を刻んだ。
泉下の波多野も、さぞや満悦顔であることだろう。
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