夢を見た。
車の中の夢である。
ふと気が付くと友人の運転する車の助手席、そこに座って雑談に興じる私が居たのだ。
車内にはラジオも音楽もかかっておらず、ただ二人の話し声だけが響いていた。
友人は私に、多年の研究の果てに見出したという真理について熱く語った。なんでも彼の言うところでは、同じアニメーション作品でもそれを視聴する環境次第で面白さに顕著な差異があらわれるという。
つまり、アマゾンプライムやネットフリックス等に代表される、ストリーミング再生に依った場合と。
手持ちのDVDやBDをプレーヤーに叩き込んで再生させる、旧来の手法に依った場合とで、だ。
友人の展開した理論は電光のようにあざやかで、まさに天啓といってよく、秘め置かれし啓蒙的真実をこれほど鋭く抉り出すとは、いやはやとんだ天才もいたものだと膝を打って感嘆したのを覚えている。
が、斯くも素晴らしき新発想の詳細は、目覚めと同時に湯を注がれた海苔のように形を失い、今では痕跡すらも残っていない。在るのはただ、何か偉大なものに触れたという感慨だけだ。
いつの間にやら、我々の車は寂れた温泉街を疾走していた。
窓の外では体育着姿の女生徒たちが、真面目な顔で電線からぶら下がり、腕を交互に動かすことで前へ前へと進んでゆくところであった。
陸上部の練習中だと、何故かなんの疑問も抱かず、ごく自然にその光景を受け入れた。
「俺たちにも、あんな時代があったよな」
今にして思うとあってたまるかと切り捨てるべきこのセリフは、しかし他ならぬ私自身の口から発せられたものなのだ。友人は深く頷いて、同調の意を示してくれた。
アトラスから発売されたばかりの『ペルソナ5 スクランブル』をプレイ中であることが、或いはこの夢を形成した一大原因やもしれぬ。
北は北海道から南は沖縄まで、日本全国をキャンピングカーで旅してまわる青春真っ盛りの主人公たちの姿には、単なる憧憬を凌駕した、なにか物狂おしい感情を掻き立てられずにはいられないのだ。
それにしても、ここまであからさまに反応するとは。肉体はともかく、感受性に関しては、私はまだまだ瑞々しさを失っていないようである。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓