穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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アスキスと河合栄治郎 ―日英の自由主義者たち―

 

 高橋是清吉野作造、下村海南、武藤山治柳田国男――。


 昭和二年刊行の『経済随想』には実に多くの著名人が名を連ね、思い思いの切り口で時局を論じているのだが、中でも私をいちばん仰天させたのは、河合栄治郎自由主義なる小稿だった。


 彼の言を信じるならば、第一次世界大戦当時、イギリスは国内の良心的反戦主義をひっくくり、フランスに送ってまとめて銃殺刑に処したというのだ。

 

 

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 順を追って説明しよう。


 河合は話の導入として第一に、英国自由党総裁、ハーバート・ヘンリー・アスキスの政界引退を報じている。あれほど完成された人格を持つ政治家が、孤影悄然と表舞台を去らねばならぬとは、まったくなんたる寂しさか――と、満腔の同情を以ってして。

 


 オックスフォード大学の秀才として、有望の弁護士として、又明敏な議会政治家として、彼の生涯は花やかさそのものであった。議会に於いてギリシャ・ラテンの名詞を引いて高雅な演説の出来るのは近頃において彼丈であった、あれがヴィクトリア朝時代のただ一人の政治家であった。(138頁)

 


 このヴィクトリア朝時代のただ一人の政治家」が、イギリス政治史に如何に目覚ましい貢献をしたか。次いで河合は、そちらに話頭をめぐらせる。


 具体例が列挙され、そのうちの一つに例の「銃殺刑」が持ち上がってくるわけだ。

 

 

Herbert Henry Asquith

Wikipediaより、アスキス) 

 


 第一次世界大戦開幕当初、アスキスが首相の地位にあったことは、過去の記事でわずかながら私も触れた。闘犬的性格の持ち主であるウィンストン・チャーチルを、持ち前の雅量でよくおさめたと。


 しかしながらあの時代、戦争の狂気にあてられて目を血走らせていたのはチャーチルのみではなかったらしい。国内に数千は居ると推測された良心的反戦主義者。卑怯・臆病の心ではなく、まったく思想に基いて兵役を拒否し、政府の戦争遂行を批難さえするこの人々への対応として、見せしめに何人か殺してしまえという声が、閣内に於いても相当かまびすしかったそうなのだ。


 しかしながらアスキスは、頑として首を縦に振らなかった。


 若い党員は彼らを愛国心の欠片もない売国奴の集団だと罵るが、その意見には賛同できない。彼らは彼らで、真摯に英国の未来を考えている。紛れもない愛国者である。そうした異なるタイプの愛国者を数多包含してみせてこそ、大英帝国の活力は生まれ、終局の勝利へたどり着くことも出来るだろうし、これを寛大に許して行けるところに、自由主義の特徴があるのだ。……


 過去、自由党はいつも内紛ばかりを繰り返している」と揶揄された際、


「各人に独自の思想と行動とを出来る限り許すことは、それが自由主義の要諦である。溌溂たる意見の相違が現れるのは、それが自由党なればこそ可能なのだ」


 そう言ってすかさずやり返したアスキスである。


 良心的反戦主義者をめぐるこのやりとりも、彼らしいとごく自然に納得できよう。

 

 

Herbert Henry Asquith, 1st Earl of Oxford and Asquith by Sir James Guthrie

 (Wikipediaより、アスキスの肖像画

 


 だがしかし、如何にも寛大なこの態度。


 非常時の沸騰しきった人心には、さまで響くものではなかった。


 却って「甘い」と受け取られ、


「平時ならばいざしらず、あのような人を頭に据えてこの戦争を勝ち抜けるのか」


 足元がぐらつく結果になったのはなんとも皮肉な限りである。


 間もなく政変が勃発し、アスキスに変わってロイド・ジョージが国のトップに踊り出た。

 


 ロイド・ジョージが首相になった時始めて、その人々を縛って、フランスで銃殺したといふことである。(139頁)

 


 そうくくる河合栄治郎の一連の記述は、かなり事実に即した話のようだ。


 2010年に人文書院から刊行された小関隆氏の名著、『徴兵制と良心的兵役拒否―イギリスの第一次世界大戦経験』にも類似の内容が発見できる。牢獄に収監された拒否者の中には精神に打撃を受けるほど酷烈な「懲罰」が下される例とてあったとも。

 

 

 


 戦争の火蓋が切られたならば、何処の国でもやることは大概変わらない。


 アメリは図書館からドイツ語の本を引っ張り出して破り捨てるキャンペーンを始めたし、若干時代が前後するが、普仏戦争後のフランスでは、独帝ヴィルヘルムの写真を子供に踏ませ、敵愾心のすりこみを狙う「教育」が流行った。


 そうした一連の行動を、河合栄治郎は誰憚りなく批難する。

 


 他人の個性を寛假し得ないことのうちには卑怯な嫉妬心と果かない自信とが含まれてゐるのである。変った個性が出てくる時にこれを何とかケチをつけなければ、自らの立場の動揺を感ずる意気地なさがあり、変った個性の人が衆人の意表に現れる時に、これを見逃すことは、自分の地位も落ちるやうに感ずる嫉妬心がある。そのいづれもが女性的の傾向であり、弱小国民の表象である。(141頁)

 


 筋金入りの自由主義者で、第二次世界大戦前夜、徹底的なファシズム批判の論陣を張った河合らしい物言いだ。


 地球の反対側にこれほどの理解者を持ったことは、アスキスにとって幸福だったに違いない。

 

 

 

 

 


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