穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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国際親善、至難なり


 諸外国との相互理解は難しい。


 距離を詰めようとすればするほど、しかし却って感情的な摩擦ばかりが募りゆく、そんな相手も世には居る。


 日本にとって、支那・朝鮮がまさしくそれ・・だ。

 

 

 


 切れるものならえんがちょ切りたい、厄介至極な隣人諸君。大正・昭和の人々も、この辺の機微に関してはさんざん苦悩したものだ。同文同種を謳いながらも、どうして一向、融け合えぬのか。長年努力し、便宜を図り、物質的な「援助」とて、どっさり渡して差し上げたにも拘らず、なにゆえ「日支友好」の成果はなかなか実らぬか。不可解なりと慟哭する先人たちの面影は、ちょっと古書を渉猟すれば到る処に見出せる。


 そして時には「向こう側」から解答こたえを持って来た奴も。


 大正十三年である。上海を拠点に活動していた李漢俊なる人物が、相互理解を促進させる目的で、心づくしのメッセージを送付した。

 

 両国の和合を妨げる最大要素はいったい何か。曰く、日本人というものは、「政府」に過度の幻想を抱いてしまっているのだと。「お上」に対する信頼性が大陸側と列島側とで文字通り、天と地ほどに異なると。啓蒙的な解説を並べてくれたものだった。

 

 

Li Hanjun

Wikipediaより、李漢俊)

 


 ちょっと長いが、この切り口はなかなか新鮮なるゆえに、ぜひ一読を願いたい。

 


「中日親善を必要とし、熱望し、その提唱に熱中する部分的日本国民は、日本国家が自分の国家であり、日本政府が自分の政府であるために、直ちに日本国家及び政府が凡ての日本国民の国家であり政府であると思ひ定め、更に進んで地球上現存のあらゆる国家及び政府もその国の凡ての国民の国家であり政府であると思ひ定める。さうして自分の政府を動かし、若しくは自分の政府を後援として、或る他国の政府と接触すれば、その国凡ての国民と接触したと思ひ定める

 

 

支那の農民)

 


「ところが、吾国は未だ彼等が自己の国において認めてゐるが如き国家に進化して居ない、吾国の政府は単に自己代表であって、吾国民の何人をも代表してゐない。吾国民は決してこの部分的日本国民が自分の政府を尊敬し信頼して居るが如くに、吾国の政府を尊敬し信頼してゐない。反って憎悪し呪詛してゐるのである。吾国民は常にその顛覆を希ってゐるのである。只自己の実力の足らないが為に未だこれを実現することが出来ないだけだ。吾国民の苦悩も悲痛も慚愧もこゝにあるのだ、決して一部分の日本国民とその政府との如き関係にあるのではない。
 だから他国民若しくは政府が吾国政府及び有力者と接近すればするほど、吾国民との距離が遠くなり、吾国政府及び有力者との握手が固くなればなるほど、吾国民の悪感は深くなるのだ

 


 つまるところは政府と政府で親しくし、あちらの「大物」、「有力者」を支援すればするほどに、支那四億の民草は大日本帝国を怨み憎んで殺意を募らすシステムが組み上がっていたのだ、と。


 とんだ陥穽、あるいは構造的欠陥だった。

 

 

杭州街頭)

 


 然らば日支友好はどのようにすれば実現可能か。


 月並みだが、民衆レベルの接触を従来より何十倍にも盛り立てる他ないだろう。李漢俊の論旨はつまり、そちらの向きを指している。


 だがしかし、日本人は民族的な特徴として、とかくに外へと出たがらぬ。


 ほんのいっとき、旅行程度は兎も角も、海外赴任の辞令なぞ拝領した日にはもう、そそくさ遺書をしたためて、親戚一同、会合し、「涙の別れ」をオイオイと交換してから出立していた、そんな御時世なのである。


 とてものこと、無理ではないか。


 やはりどうにも手詰まり感が否めない。


 結局日支はああなる・・・・以外に仕方がなかったのであろう。当時の事情を知れば知るほど、諦観ばかりが強くなる。

 

 

 

 

 


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