穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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動物愛護先駆譚 ―松井茂という男―


 明治・大正の日本にも、動物愛護の動きはあった。


 特に高名な旗頭として、松井茂・小河滋次郎の両法学士が挙げられる。


 わけても前者は動物を虐待して平然たる者は人間に対しても残虐を敢えてして平然たる者」「動物虐待を見過ごす社会は問題児を大量生産する社会」との所見に基き、新聞に盛んな投書を行い、欧米すなわち先進諸国の実情を伝え、大衆の意識を刺激して、立ち上がらせんと努力した。活発というか、意欲に満ちた人である。

 

 

MATSUI Shigeru

Wikipediaより、松井茂)

 


 こころみに「投書」の中身をひろってみると、

 


〇英国では一八〇九年ロード・エアースキン氏(Lord, Erskine)が上院に於て動物愛護の事を述べた時は寧ろ嘲笑に附せられたが、一八二二年マーチン氏(Martin)が之を唱ふるや、議員の多数に歓迎せられ、マーチン・アクトとして其法令が発布され、一八二四年、世界に率先して動物虐待防止会を組織し、越えて一八四〇年には皇室的の名称を冠することを許された。

 


 一八〇九年といえばナポレオン戦争の真っ最中だ。


 コルシカの人食い鬼を相手に、存亡を賭け、がっぷり四つに取っ組み合ってる状態で、更にこの上、物言わぬ獣へと割いてやるだけのリソースは、いかな大英帝国といえど持ち合わせが無かったか。

 

 

 


 我が身の安全が確保され、心に余裕があってこそ、他の誰かに優しくしてやる気にもなる。


 世間一般の「善人」とはそういうものだし、たぶんそれでいいのだろう。

 


〇ベルフ(Bergh)氏が米国領事館書記官として露国在職中、同国の動物の残忍な取り扱ひを受けて居るのを見て惻隠の情を起し、帰途ロンドンに立寄りて、動物虐待防止事業を視察し、帰来防止事業を初めて米国に企て(時に一八六六年)、続いて児童保護会を組織(一八七五年)して、斯会の鼻祖と仰がれるやうになった事を考へても、動物を虐待する露国民の中から、パルチザンの如き兇暴の徒の輩出したのは決して偶然でなく、又動物愛護と児童保護とは根本義に於て離るべからざる関係にある事が判る。

 


 引き合いに出されたロシア人こそいい面の皮であったろうが、なにぶん尼港事件が起きてからあまり時を措かないうちに草された文ゆえ、いかんせん。


 ニコラエフスクに滞在していた邦人を、軍民問わず皆殺しにされたショックは大きかったということだ。

 

 

Nikolayevsk Incident-3

Wikipediaより、廃墟となったニコラエフスク

 


 もう何点か抽出したい部位がある。

 


〇ドイツでは一八三七年、初めてシュトゥットガルトに、一八四一年にはミュンヘンに於て之が創設せられ今や各州に亘って居る。我邦では東京、横浜、神戸の如き外国人の多く居る場所で而も外国人の注意の下に貧弱なる動物愛護が行はれて居るに過ぎない。


奥州辺では馬の子を我子のやうに可愛がって育て上げ、やがて伯楽に売り渡す日になるや、家族一同村境まで見送り、愛馬が伯楽に曳かれて行く後姿を見ては、泣いて別れを惜むさうだ。所が曳かれ行く馬は、無情な伯楽に怒鳴られ、鞭れるので、初めて人間の怖ろしさを知り、段々と警戒の色を浮べて、それが東京に着く迄には、怒りっぽく後足を挙げて蹴るやうになるといふ。

 


 ああ、これについては聞き覚えがある。


 確か明治十年代であっただろうか、中央から役人が来た。


 南部馬の皮の質の調査のためだ。良好ならば背嚢・鞄・靴等の、軍需品の原料供給源として設定する気でいたらしい。お国の大事というわけである。ところがこの目的がひとたび漏れるや、たちまちのうちに収拾のつかぬ騒ぎになった。


「この人非人、鬼、外道っ」


 耳から蒸気を噴かんばかり――と言うべきか。


 岩手県の農民という農民が、逆上して叫んだのである。

 


皮をとるために育てるのぢゃない。たとひ死んでも皮を剥ぐやうなことは情として出来ない。死んだわが子の皮を剥ぐ奴があるものかと、ひどくどなられて役人連中、面目を失して退却した話が残ってゐる。その位にみんな馬を可愛がる。競売に出るときは家族の者多数つきそひでついて行く。売れる前夜まで馬の横にねる。随所に塩原多助馬わかれの場が実演される。

 


 こういう記述が、昭和三年の『経済風土記に載っている。

 

 

岩手県、久慈の馬市)

 


 ほぼ一揆寸前の眺めであった。


 威圧によって「官」の意向を曲げさせた形であるゆえに、そう取られてもやむなしだろう。


 天高く馬肥ゆる地の誇りと看做してやるべきか。


 こういう「お国柄」と対面するのは、何につけ悪い心地ではない。

 

 

 

 

 


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