穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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ハーゲンベックの慈悲深さ ―Human zooの内と外―

 

 黒川義太郎の現役時代。上野動物園の運営は、専らカール・ハーゲンベックの手法に拠るところが大だった。


 以前記した大型ネコ類の分娩環境整備など、まさにその好例だろう。

 
 大正十五年の講演で、


 ――園内のものは皆んな私の子のやうな感じがする。


 と発言するほど慈悲深かった黒川だ。「愛と親しみ」を第一とするハーゲンベックの順育法に共鳴するのは蓋し自然な流れと言えた。

 

 

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(獅子の子を抱く黒川義太郎)

 


 実際問題、ハーゲンベックは動物に対し、溢れんばかりのいたわりの心で接したらしい。


 こんな話が伝わっている。


 その昔、ドイツのとある雑誌社により、南米パタゴニアへのツアー旅行が営まれた際のこと。


 参加者の一人が道に迷った。


 仲間の姿を見失い、孤立の事実に動顛し、救いを求めて遮二無二そこらを走った結果、救助どころかどんどん奥地へ迷い込み、ふと気が付けば己の踏み跡さえも定かではない。


(なんということだ)


 故郷を遥か、こんなおそるべき瘴癘の地で、人生を終えねばならぬとは――前途の悲惨を予見して、彼はまったく慄然とした。

 

 

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パタゴニアの風景)

 


 杞憂ではない。第二次世界大戦以前、GPSなど発想からして影も形も見当たらぬ時代の沙汰である。


 捜索作業の難度ときたら、現代の比ではないだろう。遺骨のひとかけらでも見つかれば、まず御の字と言えそうだった。


 死ぬ、きっと死ぬ、九分九厘死ぬ。漬物石でもんだように、胸のあたりが苦しくなった。動悸も激しく、膝頭がぶるぶる震え、いまにも崩れ落ちんばかりであった。


 が、すんでのところでとどまった。


 向こうの茂みがにわかにざわめき、馬に乗った原住民の一団が、間もなく飛び出してきたからである。


(ああっ)


 この現実に、彼はほとんど逆上しかけた。


 ああいう手合いが領域内に勝手に入った余所者を、警告だけで無事に帰すわけがない。


 まず間違いなく殺される。それも頭の皮を剥ぐなり何なり、「見せしめ」としてさも残酷に殺される。


 偏見という意識すらない。彼にとってその結論は、とうの昔に証明済みな公理の如きものだった。

 

 

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(馬鹿な。――)


 ふざけるのも大概にしろと叫びたかった。


 心というのは妙な器物で、こうなると逆に糞度胸が据わってしまうものらしい。


 あたら・・・無駄死にしてなるものかと、一人でも多く道連れにする気で拳銃を抜く。


 が、弾の発射には至らなかった。


 彼の指を止めたのは、先頭を走る原住民の顔である。


 はじけんばかりの笑顔であった。


 竹馬の友に偶然再会したかのような雰囲気で、馬から降りるその在り様は、どう見てもこれから殺し合いをしようという者が醸し出すべきそれでない。


 次いで分厚い唇が開かれるにつき、彼の驚きはいよいよ頂点に達することとなる。


 ――ハーゲンベック。


 と、嬉しそうに呼んだのだ。

 

 

Lovis Corinth Porträt Carl Hagenbeck mit dem Walroß Pallas 1911

 (Wikipediaより、カール・ハーゲンベック)

 


(なんの話だ)


 むろん、この遭難者はカール・ハーゲンベック本人ではない。


 理解を絶した展開に、ただもう目を白黒させる以外に術がなかった。


 種を明かすとこの原住民、以前ハーゲンベックの動物園で働いていた過去がある。


 といって、従業員ではない。檻の中で、見せ物になる側だった。


 少壮時代のハーゲンベックは人間動物園Human zooの経営に熱中すること大であり、ツンドラからエキスモー人を、スーダンからヌビア人を、ポリネシアからサモア人を連れてきて、文明社会の耳目に晒し、それぞれ大盛況を呼んでいる。

 

 

Friedländer.plakat.8

 (Wikipediaより、ハーゲンベック・ショーの広告)

 


 このパタゴニア人は、数ヶ月間その境遇に甘んじた。


 毎日毎日、大勢の群衆に囲まれて、飛び交う会話を聴くうちに、わずかながらもドイツ語を覚えた。といって、「ハーゲンベック」が「ドイツ人」そのものを意味する単語と思い込んだり、間違いだらけの学習だったが。


 まあ、それはいい。


「人間動物園」など、どう好意的に解釈しても倫理を踏みにじる行為に印象されるが、おどろおどろしい字面に反して「展示品」の扱いは鄭重をきわめていたらしい。そうでなければパタゴニアで遭難した彼についての、その後の処遇が説明できない。


 原住民らはこの人物を狩猟小屋に連れ込んで、甲斐甲斐しく介抱した後、海岸近くに碇泊していたツアーの船まで送り届けてくれたのである。


 もしハーゲンベックが彼らを虐使し、名状し難い屈辱を刻み込んでいたならば、原住民らは復讐の好機来たれりと喜び勇んで迷い込んだ白人野郎を八つ裂きにしたに違いない。


 彼は九死に一生を得た。


 情けは人の為ならずと、言っていいのか悪いのか。運命論に傾倒するのは、きっとこんな体験の後だ。まこと、めぐり合わせとは玄妙である。

 

 

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