明治四十四年二月二十三日、上野動物園に一頭のカバがやって来た。
日本に於けるカバの展示の第一である。
たちまち人気が沸騰した。
(Wikipediaより、カバ)
この珍妙な、さりとてどこか愛嬌のあり憎めない
今で云うパンダに等しい持て囃されっぷりだろう。
そうした風潮を反映してか、黒川園長も事あるごとに、この偶蹄目にまつわる話を発表している。
就中、私の興味を刺激したのは、「河馬の旅行」なる一節だった。
ある条件が揃った場合、彼らは民族大移動を起すというのだ。
河馬と云ふ動物は其常に棲んで居る河の水が浅いと、自分で自分の身体の没し得る程度に水の底を掘る。そして其常住の場所に餌が欠乏した時、若くは食餌の性質が思はしくない時には往々根拠地をかへると云ふ事だが、この根拠地をかへる場合、往々また河口から海の方へ出て、海岸を泳ぎながら進むことなどもあるさうだ。(昭和九年『動物と暮して四十年』114頁)
川の終点は海なのだから、あてずっぽうに陸上を行くより、海岸に沿って泳いだ方が確かに見付け易かろう。
なかなか合理的な真似をする。
しかし現地人にしてみれば、暢気に感心もしていられない。彼らにとって海原を進むカバの群れとは、畢竟移動災厄に他ならないのだ。
其道程が長くなると勢ひ腹が空って来る。さすがの先生も腹が空っては進行を続けることが出来ぬので、止を得ず海岸から陸地の方へ上って来て、食餌を
(Wikipediaより、カバの群れ)
アフリカ辺の入植者、殊に農場主にとり、この「河馬の旅行」ほど恐るべきものはなかったという。
一度侵入を許したが最後、その年の収穫は絶望的だ。圧倒的な食欲により何もかもが喰らい尽くされ、焼け野原も同然な惨状だけが残される。
自己の財産を防衛するため、人は努力を惜しまなかった。耕作地をぐるりと壕で取り囲み、底を覗けば無数の杭が、尖端を天に向かって突き上げている農場まであったらしいから、最早ちょっとした防御陣地の構えであろう。
そういえばニャミル椰子園を経営していた和田民治も、折に触れては自ら猟銃をひっかつぎ、農園の脅威となる猛獣――蛇、豹、野牛、オオコウモリに至るまで――を排除していた。
(和田民治の野牛狩り)
自然と取っ組み合う逞しさなくして、第三世界で
ちなみに上手いことカバを狩猟し得た場合、その恩恵は潤沢だった。以下、再び黒川の言葉を借りる。
河馬の効用は、皮、肉、脂肪、歯等が最も値打のある部分であって、皮は
(Wikipediaより、カバの牙)
不幸にも高速道路に迷い込み、轢死したカバの亡骸に、周辺住民が殺到し、肉を求めて大乱闘をやらかしたのは、2005年のケニアであった。
こうした現象を見る限り、きっと本当に美味いのだろう。「牛肉に近い」との評価もあって、つくづく興味深い生物だ。
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