大正時代の人間が、いったいどうして、どうやって、どんな経路でこんな知識を仕入れたのだろう。
度々思うが、今回のは
クスリに関することどもだ。
もちろん「麻」のつく方である。
柴田桂太が書いていた、ベニテングダケでトリップするロシア人の姿について――。
大正十一年に草された『嗜好品』なる小稿だ。なんでも「之を使用するのは北緯六十度以北のシベリアに住する東部ヤク、サモエード、ツングース、ヤクート、カムチャダールの諸族である」と。
用法はまず十二分に乾燥させて、幻覚作用を強めたあとにアサマブドウの果汁をふりかけ、掻っ喰らう。「食後忽ち昂奮発揚の状態を呈し、放歌、笑謔、未来を語り、秘密を暴き、空間の観念を失ひ屡々過大の筋力を現はす」がゆえ、祭事にもよく利用されたそうである。
そんなまさか、毒キノコだぜ――と思ったが。よく考えたら不凍液を蒸留して酒代わりに
いっときの酔いを得られるのなら、失明の危機もなんのそのな連中である。
酩酊感の強化のためにビールに殺虫剤をかけ、アフターシェーブローションを一気飲みする彼らなら。あるいはベニテングダケの毒性程度、むしろ可愛い、初心者向けの方やもしれぬ。
他にもある。
柴田桂太が披露した、ニッチな麻薬の知識は、だ。
驚いたことにこの理学士は、ペイヨーテまで知っていた。
三千年の昔からメキシコ人が愛用してきた、一種の幻覚サボテンだ。「土人は之を搗砕き、水に和して飲用し、或は其侭食するのであるが、すると二三日間は全く知覚を失ひ、覚醒の後は放歌し、絶叫し、狂噪する。
医学的には脈拍の遅緩、瞳孔の散大、色彩絢爛たる幻覚の出現、時間観念の消滅、嘔吐眩暈頭痛等が主要なる症状である」。
説明も実に正確だ。
ウィリアム・バロウズの体験記とも一致する。
(Wikipediaより、ペイヨーテ)
だがしかし、繰り言になるが、大正時代の環境でペイヨーテの知識など、いったいどうして仕入れたのだろう?
ネットやテレビは言うまでもなく、ラジオさえも未だ日本には入っていない状況で。情報収集の手段など、極めて限定されているのに。その環境下で柴田はしかも、現代人たる
「ハイチ島や南米アマゾン及びオリノコ河流域の
これも確かに実在している品らしい。
アナデナンテラ・ペレグリナという植物が、どうも
百年前に、よくぞここまで。思わず敬服したくなる。
(『ゴーストリコン ワイルドランズ』より)
…ちょっとそそっかし過ぎるだろうか? 疑念がむくりと頭を擡げ、いいや否、否、さにあらずと即座に自答し押し戻す。
仰ぎみる対象が多いというのは、人生にとり大なる幸福ではないか。
これぐらいで丁度いいのだ。少なくとも、わたくし一個に限っては。そのように己を説き伏せた。
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