穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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迷信百科 ―古銭の魔力―

 

 いくらおかねがありがたいモノだからといって、一万円札を刻んで炊いて粥にして喰えば頭脳あたまの回りが良くなると、本気で信じる馬鹿はいない。


 そんなことをしても福澤諭吉の天才にあやかれるわけがないであろう。敢えて論ずるまでもない、至極当然のことである。


 が、これを当然と看做すのは、科学によって合理的思考を鍛冶された現代人の特権らしい。遠く日本史を振り返ると、英才教育の一環として万札の粥を息子に喰わせる式の思考、迷信が、ずいぶん長らく蔓延っていた。

 

 

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 建炎通宝を竈に塗り込むあたりはまだいい。なんとなればこの銅銭を鋳造した南宋は、火徳王朝たる復興を悲願に掲げていたからだ。だから最初の年号も、建炎――炎ヲ建ツルと定めた。


 火への祈りが籠りし通貨を、火を扱う竈に塗り込む。そうすることで火の災いが除かれると期待して。まんざら理屈が通っていなくもない行為であろう。


 ところが小判で撫でると顔の痣が掻き消えるとか、匂いを嗅ぐだけでぴたりと鼻血が止まるとか、そっちの方に行くと段々わけがわからなくなる。いったいどんな根拠があって、そんな発想に至るのか。


 江戸時代に編纂された『銭範』附録『古銭厭勝効験』には、そうした民間療法? の数々が克明に記載されている。ちょっと抜粋してみよう。

 


○時気温病にて頭痛壮熱せば古銭百五十七文水一斗を七升に煎じ汁を服す
○心腹煩満又は胸脇の痛に古銭二十文水五升を三升に煎じ用ふ

 


 どちらも古銭の出し汁を飲めば病気が治ると説いている。

 


○下血には古銭四百文酒三升を二升に煎じ服す
○赤白帯下には古銭四十文酒四升を二升に煎じ服す

 


 水ではなく酒で煮込むやり方もある。
 折角の香気が銅臭で台無しになりそうで非常に勿体ないのだが、健康の前には些事であろう。

 


○腋臭には古銭十文を焼き酢に浸し麝香を抹にして入れ其汁をぬる
○百蟲耳に入には古銭十四文を猪膏に合して煎じ注入る
○霍乱転筋には古銭四十九文木瓜一両炒め烏梅うばい五枚を合せ煎じて服す

 


 色々使っているだけに、このあたりはちょっと効果がありそうだ。

 

 

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 金を太陽、
 銀を月、
 銭を星にそれぞれなぞらえ、尊重せよと啓発した学者もあった。

 


「金銀銭は、天地人の三つに象り、国家を治ること鼎の足の如し、金は陽にして日に象り、銀は陰にして月に象り、銭は陰陽の間にして星に象る、故に金銀銭を粗末にする者は、日月星の三光に捨てられ、立身出世覚束なし」

 


 やはり江戸時代の本草学者、水野澤斎の言である。


 これだけ持ち上げてもらえれば貴金属も満足だろう。直江山城守兼続「不浄の物」「手で触れたくもない」と蔑まれ、扇子によって弄ばれた昔を思えば、なんと目覚ましい出世であろうか。


 ここまで書いて、ふと思い出した。そういえば子供のころ、御先祖様の墓石に幾枚もの古銭が乗っているのを見たが、あれも何か深い意味があったのだろうか。

 

 

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 長いこと風雨に曝されて、すっかり黒ずみ、つまみ上げれば錆がぼろぼろこぼれて指につく、見るもきたならしいあの物体。


 子供心に興味を惹かれ、持って帰ろうとしたものの、親に見つかり窘められた。


 元の場所に戻しなさい、と。私は素直に従った。


 今にして思えば、その従順さが悔やまれる。隙を窺い、こっそり懐に忍ばせてしまえばよかったのだ。他所様の墓ならまだしも、自分の家のモノなのだから苦情を持ち込まれる筋もなかろう。こんなことで祟るほど、私の先祖は狭量ではなかったはずだ。


 もう二十年以上も昔であるにも拘らず、こうしてはっきり思い起こせる。嘘喰いで梶隆臣が「人の世を統べる大魔王」と慄いたのもむべなるかな。金の魔力は、やはり途轍もないものだ。

 

 

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