この程度の記事、いつもなら、一回読んだらそれっきり、ここに取り上げるまでもなく、記憶の隅に放置だが――。
同郷の不始末とあってはそうもいくまい。一定の注意を払う必要がある。明治十一年一月十一日の『朝野新聞』に、それは掲載されている。
通三丁目の居酒屋児島秩方で、何だベランメイ、かう見えても、ベランメイ、山梨県下柳町の、ベランメイ、田中長吉様といふ二十八歳になる兄イだ。ベランメイ、酒を呑んでも、ベランメイ、銭が無いといふのを無理に払へといふ無法があるものか、ベランメイ、それでも是非払へといふなら、ベランメイ、己の着物でもふんどしでも、ベランメイ、取っておくがいゝ、ベランメイ、と大威張に威張った男、酒の代は驚く勿れ四銭六厘。
『朝野新聞』はこの件に、「ベランメイ代四銭六厘」なる見出しを付け世に出した。
(武田神社にて撮影)
真面目に突っ込むのも馬鹿々々しいが、そも、銭も持たずに飲み食いしようとするんじゃあない。本人以外の誰が見たって、それが一番の無理・無茶・無法だ。
おまけに一文無しが露見してなお、恐れ入るでも逃げるでもなく、開き直って逆ギレかましてのける点、神経の調子がちょっとおかしい。「お里が知れる」の一言が、誰の脳裏にも
つまるところは、ネガキャンの骨頂であったろう。
厭なことをしてくれた、田中長吉という人は――。
(武田神社の手水舎)
だっちもねえこんいっちょしと、時空を超えてぶっさらえたらどれほど胸がすくことか。
はんでめためたごっちょでごいす、甲州人にはもっとこう、マシというか明るい話題でニュースになってもらいたい。
このこと、
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