星も墜ちれば石となる。かつては暁天の星と仰がれ、どこの家でもその子弟を教育するに、
――勉強して、神戸サンみたく偉くなるだよ。
と言い聞かせたものであったが、盛時から一世紀を経た今日、その声も絶えて久しくなってしまった。
寂しいが、自然の趨勢と言えばそうなのであろう。
が、山梨とは元々、他県に向かって誇れる「何か」を碌に持ち合わせていない国だ。
せいぜいが富士山と、武田信玄ぐらいであろうか? とはいえ前者はその頂を静岡に譲り、後者も近々、歴史教科書から抹消されると聞いている。これではいよいよ甲州人の立つ瀬がない。
「山梨がニュースになるときは、決まって悪いニュースでだ」
とは、地元民が自らを嘲って言う決まり文句だ。私も何度か、主に年賀の席で耳にした。
なるほど麻原彰晃潜伏といい白装束の集団といい、否定出来る要素が見当たらない。そういう際立った変事でもなければ、この国はまったく他国から忘却されたままである。なにせ、江戸時代から伝統的に、
――山流しの地。
と恐れられていたほどだ。一応、首都圏と隣り合っている筈なのだが、不思議なことに都人の意識の上では雲煙遠く隔てた彼方、ほとんど東北と変わりない。
この現状を鑑みて、地元の偉人をいたずらに風化させておくのはあまりに損だ。いっそ罪とすらいっていい。神戸挙一の逸話を伝え聴いた数少ないひとりとして、地の石と化しすっかり苔むした彼の名を、再び高く昇らしめ、天の星へと戻す義務がどうやら私にはあるようだ。
行き当たりばったりもいいところで、おそらく不定期極まりない更新となるであろうが、とにもかくにも取り組んでみたい。貧苦の底より身を興し、奮闘に次ぐ奮闘の挙句、「甲州財閥の三将」と謳われる地位まで昇り詰め、ついには東京電燈株式会社の社長の座に君臨し、以って同社の黄金時代を築き上げた、神戸挙一という漢の足跡を辿るこころみを――。
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