穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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神戸挙一伝 ―白石正一郎との比較―

 

【▼▼前回の神戸挙一伝▼▼】

 

 

 

 ついでながら、筆者はこの神戸一郎によく似た男を思い出した。
 下関の白石正一郎がそれである。


 彼が平田国学の徒となって勤王の志に目覚めたのは四十を過ぎてからのことであったが、その熱心さは最も血の気の多い青年層と比べたところで遜色のない、ある種鬼気迫るものがあったという。


 なにしろ嘗ては自家用商船まで所有していた裕福な廻送問屋「小倉屋」を、たった一代で潰したほどだ。彼の身の入れようが如何に容易ならぬものであったか、雄弁に語るものだろう。


 まったく白石正一郎の存在なくば、明治維新はよほど停滞したか、あるいは全然別の、史実とは似ても似つかぬ形になっていた可能性が非常に高い。奇兵隊設立時の経費一切が、その実この男の財布からまかなわれていたという一事をとってみてもそれが分かる。
 奇兵隊が各地で連戦連勝し、輝かしい戦果を挙げ得たのも、正一郎の資金によって高度な西洋装備を揃えることが出来たからだ。金も無しに、戦争に勝てるわけがない。真理と呼ぶのも愚かしいほど、あまりに当然な話である。


 正一郎は間違いなく維新回転の巨大な原動力であったろう。されど世を覆した代償に、彼の家財も軒並み潰れ、ほとんど素寒貧と化し、晩年は一介の宮司となってほそぼそと日を過ごしたという。

 


 富裕層に属しながら勤王の志に目覚めて国事に尽くし、明治維新が成ると同時に身を破る。白石正一郎と神戸一郎はいかにも似ている。

 


 ただ、両者に於いて決定的に異なる部分が一つ。先に待つみずからの没落を薄々予見し、そうと承知した上で、それでも・・・・なお・・と覚悟を固め事に臨んだ気配が正一郎には見られる点だ。
 だから後世の眼より白石正一郎を眺めた場合、そのたたずまいにはどこか秋風の吹き抜けるような、なんとも透明なすずやかさがあって、知らずこちらの心まで晴れ晴れとせずにはいられない。


 不惜身命――損得勘定を超越した、思想の、精神の、意志の力の余韻であろう。


 ところが神戸一郎からは、そうした印象をまるで受けない。それも当然、この男にとって、我と我が身の没落などまるで意想外のことだった。

 

 

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 おそらく金がなくなるということが、実感として伝わりにくい皮膚の持ち主だったのだろう。小判を玩具代わりに弄んで成長した富家の子が、よく陥りがちな無感症の一種である。
 加えて、


 ――あれだけ面倒をみてやったのだから。


 まさか見殺しにはすまい、と無邪気に信じる人の好さも災いした。恩には酬いがあって然るべきだという因果論は、寺の講釈でなら通用するかもしれないが、これをそのまま現実に当て嵌めようとすると大概悲惨な結果を招く。


 むしろ恩を施されると、なにか弱みでも握られたような気分になり、どうにも尻のすわりが悪く、終いにはその相手をひどく憎むようになるのがまず一般的な人情の作用であるといっていい。


 人を見たら泥棒と思え、男子門を出ずれば七人の敵あり。


 果たして神戸の家が落魄し、日に三度のめしにも事欠きはじめ、子が成長したところで着せる服が無いという、昔日の栄華からは想像もつかない、そんな窮境に至っても、救いの手を差し伸べてくれる輩など唯の一人も現れなかった。

 

 

 

 

 

 


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