「鳩山サンは冷血だ。とかく義理ってもんを欠く」
とは、彼の農地の小作らが、常々こぼした愚痴である。
この場合の鳩山は、憲政史上の恥さらし、生きた日本の汚点そのもの、ルーピー由紀夫にあらざれば、友達の友達がアルカイダのメンバーだった、逝いて久しい邦夫くんでも、むろんなく。
彼ら兄弟の祖父である、「ハトイチ」こと鳩山一郎こそを示したものである。
ハトイチくんは不在地主だったのだ。北海道の角田村、今の地名に
顧みれば明治二十七年度、一郎の更に先代である和夫があれこれ動き廻って、国有地の払い下げを受けたことに端を発するそうではあるが。――細かい由来の詮索などは、今は措く。
とまれかくまれハトイチくんの手の中にある角田村の農場へ、地方新聞『北海タイムス』記者が飛び込んでいったのは、昭和八年、夏から秋への境目あたり。
長い政界生活で、ハトイチくんがやっと、はじめて、大臣の椅子に就いてから、二年が経ったころだった。
以下、ルポ記事を置いておく。
「…此の村は農家個数千八百の中自作農は僅かに三百五十しかなく北大農場の二千町歩を始め全耕地の約八割は不在地主が占め然も今を時めく非常時内閣の文相、鳩山さんの親譲りの農場、高木男、堀田伯、実吉子、湯池貴族院議員等々お偉い人々の名がずらりと頭を列らねてゐるのが一段と目につく、鳩山さんの小作人某に『地主さんが大臣になって何かいい事があったかね』と水を向ける『小作人一同で祝電も打てば手紙も出したがいまだに何の返事もない、一寸したハガキ一本でも貰へるとみんな感じがいいのだが――』とは意外これじゃ鳩山さん少しく人情がなさすぎるといふもの、先代(和夫博士)の時分は八月の休みには必ず例の春子夫人に当時まだ中学生だった一郎、秀夫さん兄弟打ち揃ってやって来たもので、夫人は俳句をやるので農場を散歩し博士と子息さん達はよく釣りに出掛けたものだ、其時分は来る時は何かかにか土産を持って来たものだが、今は絶対に何もない処か一度も顔を見た事もない」
貴人情を知らずという諺がチラリと脳裏を横切って、疑念の種を蒔いてゆく。
はて、鳩山は貴人だろうか?
軽々に肯ずるを許さない、だいぶ考慮の余地がある。
「それにくらべると高木さんの小作人は仕合せなものである、先代の時はもとより今の喜寬男になっても毎年夏になると農場を見舞ひ小作人一同招いて御馳走をする、正月には又恒例で管理人の招宴が開かれる、飲みほうだい食ひほうだいでおまけに福引まである、それが反物や台所もので空籤など一本もない、堀田さんのは佐倉農場と呼んでゐるが此処は小作料も一番安く正月に年始にゆくと決って反物のお土産がある。…(中略)…鳩山さんには甚だ旗色が悪くてお気の毒だが大略以上の様な次第で不在地主は多くても割合温情主義がゆき届いてゐるので今の処村は至って平穏無事」
他の地主の徳の高さをアピールするのに格好の対照物として、『タイムス』記者はハトイチくんを扱っている。
残当としか言いようがない。
(Wikipediaより、栗山町役場)
目下、旧角田村の鳩山農場跡地には、「友愛ファーム」とかなんとか云うグロテスクな名前のついた施設が立っているそうな。
次は誰を粛清するか、どいつをトカゲの尾にするか、――そういう密議を凝らしているんじゃないのかと、ついつい勘繰りたくもなる。「友愛」という単語が持つイメージを、よくもここまで致命的に穢せたものだ。
コトバの方こそいい面の皮であったろう。
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