小学校のカリキュラムにも地方色は反映される。
九州鹿児島枕崎といえば即ちカツオ漁。江戸時代に端を発する伝統を、維新、開国、文明開化と時代の刺戟を受けながら、倦まず弛まず発展させて、させ続け。昭和の御代を迎える頃にはフィリピン諸島や遠く南洋パラオまで、遥々船を進めては一本釣りの長竿をせっせと投げ込みまくったという、意気の盛んな港町。
かかる熱気はひとり港湾のみならず、小学校の授業風景にまで伝わり、浸潤し。通常の教科書以外にも、手製の海図を壁に張ったり、配ったり。カツオを乗せてやってくる暖流の長大を指し示し、
――我らの活路は南方にあり。
と煽った教師もいたようだ。
そりゃあ漁場開拓も進む道理であったろう。教育はまさに百年の計。カツオ節生産日本一の栄光をやがて恣にする、地道な努力の一環だった。
個人的な情念をぶちまけさせて貰うならーー。
海なし県に生まれ育った所為なのか、およそこの種の話には、妙にわくわくさせられる。
浪漫を感じて仕方ない。信玄公もきっと
長年「海」に
(横須賀にて撮影)
まあ、それはいい。
話頭をカツオに引き戻す。
薩摩ではなく、紀州だが。現に長年、カツオ漁に従事して、太平洋の苛烈な日射と荒い潮風を浴びまくり、皮膚をすっかり赤銅色に染め上げた、漁師の直話が奇しくも伝えられている。
彼の名前は井上辰彦。
「まあ、惚れた女を手に入れるのと丁度同じ要領ですね」
洋画みたいにウェットに富んだセリフから、その話は
「こゝへまづ大変好きな人があってやっと会ふことが出来たといふのですぐさま単刀直入に求婚の申込みをしたとしたらどうでせう、是は野暮と云ふものでそこによろしく恋の駈引あって然るべきもので、是が即ち鰹魚群飼附の苦心と技術のコツなんです、漸く発見した魚群の鼻先にいくら好餌をさしつけても十中八九は失敗です、焦らず騒がずぼつぼつ機嫌もとる事でまづ後の方でマゴマゴしてゐる奴に生きた鰯の餌をちょいちょい投げてやります、先方に思召のない時はいくら撒いても見向きもしない、こんな場合は男らしくあっさり諦めてさっさと引揚げることで、もし其餌をパクリとやったらしめたもの、彼女は確にこっちのものです。やがて魚群は進行を止めて、『なんだなんだ』てな具合に船の周囲に寄って来ます、そこを見はからって全力を挙げて生餌を撒けば先方はもう夢中だ、よって愈々船を止めて習慣によって左舷を風下にして全員又左舷に並列して船頭の命令一下竿は上下に躍動して此に痛快な鰹釣りが開始される」
立て板に水を流すが如し。
頭の中に自然じねんとその風景が描かれる、見事な談話術である。
(カツオ節の製造過程)
これも教育の賜物か。流石に二十世紀ともなると、漁師もなかなか弁が立つ。
権利の主張や、労働条件の改善のため。立たなければやってられない時勢であった。
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