ざっくばらんに述べるなら、古代ギリシャ音楽の和風アレンジバージョンである。
遙かに遠く、紀元前。地中海にて誕生した旋律を、ほとんど地球の反対側の大和島根の楽器と
刺戟的な試みが、東京、ドイツ大使館の夜会に於いて実現された。
大正十四年、十二月十七日のことである。
作曲者の名は吉田晴風。
演奏もまた、吉田晴風とその婦人。晴風が尺八を、婦人が琴を、それぞれ担当したそうな。
当時の大使、ヴィルヘルム・ゾルフは演奏に耳を澄ますうち、次第に夜魔に魅入られた如く恍惚とした心境へと導かれ、
――素晴らしい、まさに世界的の企てだ!
と、背筋を伸ばし、頬は紅潮、全身で感動を表現しながら叫んだという。
ドイツ人の音楽愛に関しては、
「ドイツ人は音楽が好きで、大概の洋食屋にはオーケストラがある。今ドイツ人はヒトラーと言ふ指導者のタクトの下にナチス的音楽に酔ってゐる形だ。そしてその指導者に対する尊敬、陶酔は想像外だ」
日常生活の中にさえ、より良きリズムを求めてやまぬ、そういう彼らが褒めるのだ。歯の浮くようなおべんちゃら、阿諛追従ではありえない。額面通り、素直に受け取って構うまい。ああ、願わくば、この吉田晴風の感性が、東京五輪の開会式にも欲しかった。
洋楽と雅楽の接近はその後も屡々試行され、昭和七年時点では福田蘭童、当代一の奏者と呼ばれた彼により、「尺八協奏曲」という耳慣れぬ単語が持ち出され、世間をあっと驚かせている。
「…これは在来の尺八の持つ音域の二オクターブを遙かに越え、三オクターブ半にわたるもので、それに私が考案した特殊な手法を加へ、クロマチックスケールを自由に用ひビブラートやフラヂオレットなどの自由さを出す
上がすなわち「尺八協奏曲」に掛けられし、福田蘭童の意気込みだった。
令和六年六月二十一日以降解禁された影の地で、神獣獅子舞の荘厳なる曲目を何度も何度も繰り返し、いっそ
角の獣よ、神獣よ
どうか塔の子ら、勇人の身体に宿り
我らのために舞い給え
絢と舞い、絢と舞い、すべてを祓い給え
凶運を。凶賊を。塔の仇を
あの奸婦めの子らを!
会心といっていい。
流石フロムソフトウェア、雰囲気づくりは天下無二。彼らのセンスは健在と、存分に思い知らせてくれるDLCの出来だった。
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