穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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雅楽洋楽アレンジャー


 ざっくばらんに述べるなら、古代ギリシャ音楽の和風アレンジバージョンである。


 遙かに遠く、紀元前。地中海にて誕生した旋律を、ほとんど地球の反対側の大和島根の楽器と感性センスで新生させる。


 刺戟的な試みが、東京、ドイツ大使館の夜会に於いて実現された。


 大正十四年、十二月十七日のことである。

 

 

(『アサシンクリード オデッセイ』より、オリンピア

 


 作曲者の名は吉田晴風


 演奏もまた、吉田晴風とその婦人。晴風が尺八を、婦人が琴を、それぞれ担当したそうな。


 当時の大使、ヴィルヘルム・ゾルフは演奏に耳を澄ますうち、次第に夜魔に魅入られた如く恍惚とした心境へと導かれ、


 ――素晴らしい、まさに世界的の企てだ!


 と、背筋を伸ばし、頬は紅潮、全身で感動を表現しながら叫んだという。

 

 

Bundesarchiv Bild 183-R73059, Wilhelm Solf

Wikipediaより、ヴィルヘルム・ゾルフ)

 


 ドイツ人の音楽愛に関しては、

 


ドイツ人は音楽が好きで、大概の洋食屋にはオーケストラがある。今ドイツ人はヒトラーと言ふ指導者のタクトの下にナチス的音楽に酔ってゐる形だ。そしてその指導者に対する尊敬、陶酔は想像外だ」

 


 と、清澤洌の著述にもある。


 日常生活の中にさえ、より良きリズムを求めてやまぬ、そういう彼らが褒めるのだ。歯の浮くようなおべんちゃら、阿諛追従ではありえない。額面通り、素直に受け取って構うまい。ああ、願わくば、この吉田晴風の感性が、東京五輪の開会式にも欲しかった。

 

 

 


 洋楽と雅楽の接近はその後も屡々試行され、昭和七年時点では福田蘭童、当代一の奏者と呼ばれた彼により、「尺八協奏曲」という耳慣れぬ単語が持ち出され、世間をあっと驚かせている。

 


「…これは在来の尺八の持つ音域の二オクターブを遙かに越え、三オクターブ半にわたるもので、それに私が考案した特殊な手法を加へ、クロマチックスケールを自由に用ひビブラートやフラヂオレットなどの自由さを出す心算つもりです」

 


 上がすなわち「尺八協奏曲」に掛けられし、福田蘭童の意気込みだった。


 令和六年六月二十一日以降解禁された影の地で、神獣獅子舞の荘厳なる曲目を何度も何度も繰り返し、いっそえづき・・・を催すばかりに堪能させられまくった身には、割と、けっこう、タイムリーな話であった。

 

 

 


角の獣よ、神獣よ


どうか塔の子ら、勇人の身体に宿り


我らのために舞い給え


絢と舞い、絢と舞い、すべてを祓い給え


凶運を。凶賊を。塔の仇を


あの奸婦めの子らを!

 

 

 

 

 会心といっていい。


 流石フロムソフトウェア、雰囲気づくりは天下無二。彼らのセンスは健在と、存分に思い知らせてくれるDLCの出来だった。

 

 

 

 

 


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