穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

古書

続・植民地時代のジャワの習俗 ―道路・散髪・美容術―

お国柄というものは、植民政策の上に於いても如実に反映されるらしい。 たとえばオランダ人は道路を愛する。 左様、その重視の度合いは最早偏愛としか看做しようのないものであり、このためたとえば和田民治が根を下ろしたジャワ島などは、網目の如く車道が…

植民地時代のジャワの習俗 ―出産・育児篇―

和田民治という男がいた。 明治十九年生まれというから、ちょうどノルマントン号事件が勃発した年である。 三十路を越えてほどもなく、蘭印――オランダ領東インドに渡った。 以後、およそ二十年もの長きに亘り、彼の地で開墾・農園経営に携わり続けた人物であ…

続・文明堂と帝国海軍 ―軍縮をきっかけとして東京へ―

宮崎甚左衛門が人に使われる立場から、人を使う立場に移行したのは、大正五年十月二十五日のことである。 この日、彼は佐世保の街に文明堂の支店を開いた。 一国一城の主になったのである。男としての本懐であろう。それはいい。ここで疑問とするべきは、 ――…

文明堂と帝国海軍 ―長官室にフリーパスのカステラ屋―

地下鉄三越前駅から文明堂東京日本橋本店に行く場合、A5出口を使うのが、経験上いちばん手っ取り早く思われる。 ここを出たら、後は右手側に直進するだけでいいのだ。 二分もせずにこの看板が発見できることだろう。 先日カステラを買った際には、おまけとし…

「今に見てろ」という言葉 ―踏まれても根強く保て福寿草―

宮崎甚左衛門の『商道五十年』を読んでいると、「今に見ていろ」等逆襲を誓う意味の言葉が散見されて面白い。 前回の記事からおおよそ察しがつく通り、この東京文明堂創業者は極めて律義な性格で、しかしながらそれゆえに、劫を経た古狐のように悪賢い世間師…

焼け野原での墓参り ―宮崎甚左衛門の孝心―

――カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂。 「有名」などという言葉では、慎まし過ぎてとても現実に即さない。 あまりにも人口に膾炙されきったキャッチフレーズ。それを発想した男、東京文明堂創業者・宮崎甚左衛門。 現在私の知る限りの範囲に於…

酒、酒、酒、酒 ―このかけがえなき嗜好品―

ドイツがまだワイマール共和国と呼ばれていたころの話だ。 第十二代首相ブリューニングの名の下に、ビール税の大幅引き上げが決定されるや、たちどころに国内は、千の鼎がいっぺんに沸騰したかの如き大騒擾に包まれた。 もともと不満が鬱積している。 政治家…

パナマ運河と黄熱病 ―文明国の面目躍如―

医療行為の最善が予防にあるということは、いまさら論を俟たないだろう。 孫子の兵法になぞらえるなら、戦わずして勝つの極意そのものである。 日本でも早くからこのあたりの要諦に気がついていた人はいて、中でも高野六郎という医学博士は、その最も熱烈な…

医者の随筆 ―将棋・外套・原子爆弾―

医者の随筆は面白い。 医者を(・)書いた文章ではなく、医者が(・)書いた文章である。 高田義一郎、式場隆三郎、正木不如丘、渡辺房吉、福島伴次――結構買ったが、今のところハズレを引いたことがない。どれもこれも、最後の一ページに至るまで、私の興味…

続・米田実という男 ―マスター・オブ・アーツ―

上京して暫くの米田実の生活というのは、まったく「苦学生」を絵に描いたようなものである。 朝はまだ星の残る早くから、新聞売りとして声を張り上げ駈け廻り、それを済ますと図書館に突撃、自学自習を開始する。 さてもめまぐるしい肉体労働と頭脳労働のサ…

米田実という男 ―忘れ去るには惜しき者―

前回、せっかく米田実に触れたのだ。 この人についてもう少しばかり掘り下げてみたい。 私はこれまで彼の著作に何冊か触れ、しかもその都度、得るところ甚だ大であった。半世紀以上も前に著された本であるというのに、その知識は鮮度を保ち、みずみずしい驚…

「ドルの国」との交際術 ―戦前の「アメリカ通」な男たち―

訴訟大国アメリカといえど、これはなかなか珍しい例に属するのではあるまいか。 ロビイストが企業を相手に、法廷闘争を挑んだのである。 1929年8月24日のことだった。 この日、ウィリアム・B・シャラーという人物がにわかに世の表舞台に躍り出て、三つの大造…

繁栄の条件 ―国際場裡の腹黒さ―

来るべきものがついに来た。 大日本帝国が帝政ロシアに国交断絶を突き付けたのだ。 もはや極東を舞台として一大戦火が巻き起こるのは誰の眼にも不可避であった。風雲急を告げるこの秋(とき)、もしも彼らに発声機能があったなら、 「俺たちはどうなるんだ」…

赤羽橋のいまむかし ―芝東照宮参詣余録―

芝東照宮へ参詣したあと。折角ここまで来たのだからと、しばし四辺(あたり)を散歩した。 で、芝公園の隅の芝生に見出したのがコレである。 横の看板には、「災害用マンホールトイレ」と記されていた。非常の際には蓋を開いて便座を据え、テントか何かで囲…

大切小切ものがたり・後編 ―その始末―

慈悲に縋ろうとした。 だが拒絶された。 ならば力に訴えて、無理矢理にでも然諾を引き出すより他にない。 (先祖代々、我らはそうして生きて来たのだ) それを想うと、血が酒に変わるほどのくるめきを感じる。 甘美な陶酔というものだろう。この陶酔は、家を…

大切小切ものがたり・中編 ―新旧衝突―

大小切という「信玄公以来の祖法」消滅の危機に直面し、ただ身を寄せ合い、コマッタコマッタと首をかしげているだけが甲州人の能にあらず。 一張羅に袖を通して、えっちらおっちら峠を越えて、県庁へと馳せ参じ、陳情の声を上げる「有志」がそこかしこから出…

大切小切ものがたり・前編 ―武田信玄以来の祖法―

いやしくも山梨県民を、甲州人を名乗るなら、大小切騒動にまつわる知識はごく当然なたしなみ(・・・・)として具えておかねばならないだろう。 現に私は義務教育でおそわった。 忘れもしない中学生の頃のこと。当時の私の日本史教諭は教科書をありがたがら…

浜名湖小話 ―「ゆるキャン△」二期に向けての予習―

日に日に機会が増えている。 『ゆるキャン△』アニメ二期の広告を目にする機会が、だ。 漫画で予習は済んでいる。一期が思い切りツボに嵌ったいきがかり上、手を出さずにはいられなかった。アニメから原作にポロロッカする、典型的な例であろう。 就中、五巻…

最期の言葉 ―「辞世の句」私的撰集―

天保七年というから、ちょうど「天保の大飢饉」の只中である。信濃国水内郡丹波村の近郊で、行き倒れた男の死体が見つかった。 ざっと見歳は五十内外、持ち物は杖と笠のみであって、そのうち杖には紙片が結わえられており、開くと次の一首が認められていたと…

シベリアの夢、薄れぬ記憶

「シマッタ、ここはシベリアだ。俺は確かに日本へ帰っていたはずなのに、またシベリアに来ている。何とかして日本に帰らねば……遥か向うを見ると収容所が点在している。そして多くの日本人がこちらを見ている。戦後三〇余年、日本は随分と変った。このことを…

親愛なる同志スターリンへ ―ラーゲリから感謝の寄せ書き―

「民主化教育」に名を借りた洗脳事業を抜かしては、シベリア抑留というものがまったく分からなくなってしまう。 捕虜にされた日本人将兵57万。 ソビエト連邦は単に彼らを都合のいい労働力としてこき使うにとどまらず、この中から一人でも多くの「革命戦士」…

戦勝国民の言行録

「支那は日本と一〇年戦い、米国でさえ五年戦った。ソ連を見よ。宣戦布告からわずか三日で日本は降伏した。ソ連軍は世界一強く、ソ連人は世界で一番偉い人種である」(『シベリア抑留体験記』194頁) 奥地のとある収容所にて、赤軍兵士が抑留者たちに言い放…

隼の特攻 ―占守島血戦綺譚―

三十余年を過ぎてなお、その情景は細川親文軍医のまぶたに色鮮やかに焼き付いていた。 敗戦の前日、昭和二十年八月十四日の朝早く。彼の勤める第十八野戦兵器廠チチハル本部の営門に、魔のように飛び込んだ影がある。 将校一人と兵卒三人、いずれも埃まみれ…

霊威あふるる和歌撰集 ―「神術霊妙秘蔵書」より―

力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。 古今和歌集「仮名序」からの抜粋である。 王朝時代の貴族らは、和歌の効能というものをこんな具合に見積もっていた。 要するに和…

贖罪と逃避の境界 ―あるトラック運転手の死―

事のあらましは単純である。 子供が轢かれた。 トラックの車輪と地面との間に挟まれたのだ。 無事でいられるわけがない。 搬送された病院で、翌日息を引き取った。 運転手は、真面目で責任感の強い好漢だった。 それだけに罪の意識もひとしおだったに違いな…

切腹したキリスト教徒 ―排日移民法への抗議―

大正十三年五月三十一日の陽が昇るや、榎坂にある井上勝純(かつずみ)子爵の屋敷はたいへんな騒ぎに見舞われた。 庭に、異物が出現している。 死体である。 白襦袢に羽織袴を着付けたひとりの中年男性が、腹を十文字に掻っ捌き、咽喉を突いてみずからつくっ…

続・太平洋風雲録 ―白船来る―

果然、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。 日本のみならず、アメリカ社会までもが、だ。 ――宣戦布告に等しい所業ではあるまいか。 主力艦隊を太平洋側に廻航するということは、である。 ――ハーグ国際平和会議を主導した立場でありながら、敢えてそのよう…

太平洋風雲録 ―明治末期の日米間危機―

日米開戦の危機というのは、なにも昭和に突入してからにわかに騒がれだした話ではない。 満州事変の遥か以前、それこそ明治の昔から、大真面目に論議され検討され続けてきたテーマであった。 サンフランシスコ・コール紙などは1906年10月に「If Japan should…

長禄の江戸、慶長の江戸 ―古地図見比べ―

かつての江戸の民草は、台風の接近を察知するとはや家財道具を担ぎ出し、船に積み込み、その纜(ともづな)を御城近くの樹々の幹に繋いだという。 高潮来れば、この一帯は海になる。 狂瀾怒涛渦を巻き、人も家も噛み砕いては沖へと浚う荒海に、だ。 無慈悲な…

東北地方地獄変・後編 ―末法世界―

…卯年飢饉に及び、五穀既に尽て千金にも一合の米も得る事能はず、草木の根葉其外藁糠或は、犬猫牛馬鼠鼬に至るまで、力の及程は取尽して食尽して、後には道路に行倒、みちみちたる死人の肉を切取食ふ事になりけるに、是も日久しく饑て、自然と死したる人の肉…