穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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湿気、鬱屈、アルコール


 どうも不調に陥った。


 何も書くことが浮かばない。


 連日の雨と湿気によって頭の中身が水っぽく、ふやけてしまったかのようだ。

 

 

(viprpg『さわやかになるひととき』より)

 


 文章の組み立て方というものを見失っている状態である。こういう場合は下手に抵抗したりせず、むしろ思考能力を更に台無しにすべきであろう。どん底までゆくべきだ。経験から帰納して、そちらの方が再起が早いと知っている。そんな次第で駄目になってる脳みそにアルコールを浴びせかけてやることにした。

 

 

 


 ワインは好きだ。


 よく買って呑む。


 禁酒法時代、デモに密輸に密造に、日を追うごとにヒステリックに傾斜する合衆国の大衆を冷ややかに横目で見やりつつ、

 


英国人の飲酒は芸術的である、教養のある英国紳士はワインの鑑定に多大の趣味を有し之が研究に憂き身を窶すのである、之れは殆ど智的快楽と云ってよい位である、ワインを味はって其時代を鑑定し之れを評価すること恰も絵画演劇に対する如きものがある」

 


 ここぞとばかりに「お国自慢」に花を咲かせるイギリス人が、嘗て居た。


 模範的なジョンブル仕草であったろう。


 あの連中のふてぶてしさが、私の中にも、今、欲しい。

 

 

(『アサシンクリード オデッセイ』より、古代ギリシャの葡萄踏み)

 


雪見酒の肴は湯豆腐と定まってゐる。早鍋かけて真中にだしを温め周囲に絹漉豆腐をくたくた煮る。
 由来日本の酒は手数のいらぬ淡白なものを肴にする。湯豆腐などはその代表的のものである」

 


 酒に関する評論ならば、コイツもなかなか好きだった。


 書き手の名前は湯川玄洋。大正十四年、『食養春秋』に収められた一説である。

 

 

 


「湿潤の気候は人に及ぼす大気の大勢力のうちの判り易い一つである。梅雨来ればいろんな疾病が流行する。チフス赤痢を第一としてそろそろ隔離病舎が忙がしくなって来る。冬季に至るまでは都会では刺身もうまく食へぬのである」、――というのがつまり梅雨前線下に於ける、この大阪胃腸病院長・医学博士の嘆きであった。


 きっと、開闢からずっと。日本人はこの時季に、懊悩を余儀なくされている。


 斯様な文を肴にしつつ、昨夜はグラスを傾けた。悪くない酔い心地であった。

 

 

 

 

 


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