穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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敗れたときこそ胸を張れ


 なかなか役者だ、床次サンは、床次竹次郎という人は――。

 


「時局重大な時だ、鈴木、床次と争ってゐる場合ではない、鈴木が総裁になり、又大命が降下した場合、僕は入閣せんでも党務に骨身を入れてやる決心だ、これからが本当に政治をやるのだよ

 


 総裁選に敗れた直後、大袈裟にいえば日本のトップに立ち損なったばかりであるにも拘らず、こんなセリフが吐けるのだから。

 

 

Takejiro tokonami2

Wikipediaより、床次竹次郎)

 


 帝都を、否々、日本じゅうを震撼せしめた一大不祥事、五・一五事件石山賢吉の筆法を借りれば「軍服を着た狂人」どもに暗殺された犬養毅は、むろんただの男ではない。


 当時の与党・政友会総裁にして、現職の総理大臣である。


 畏れ多くも陛下から日本国の舵取りを託されていた人物が、前触れもなく死んだのだ。


 空間が真空を忌む如く、トップの不在は組織にとって禁物中の禁物である。


 空位となったその地位を、可及的速やかに埋めねばならない。


 有力候補は、およそ三名。高橋是清、鈴木喜三郎、そして床次竹次郎。このいずれかが次の首領と、衆の目するところであった。

 

 

(政友会本部)

 


 権力の座をめぐっての、いわゆる内部闘争は、陰謀、工作、無数の火花を舞い散らせつつ進行し。――最後にリングに仁王立ちして拳を高々突き上げたのは、鈴木喜三郎こそだった。


 床次竹次郎は負けた。


 負けて、転がる側だった。


 敗北者の泣きっ面を拝みたいとの悪趣味は、人の抱えるどうにもならない因業深さであったろう。大衆のニーズに応えんと、さっそく記者が床次サンへ「直撃取材」を試みる。


 結果得られた反応が、冒頭の啖呵だったのである。


「負け犬の遠吠え」扱いするには、立派すぎる内容だった。

 

 

 


 本音を洗ってみたならば、悔しからぬわけがない。


 内臓という内臓をぜんぶ吐き出したいほどの不快感であったろう。


 だが、床次は、そうした赤裸な感情をおくび・・・にも出そうとしなかった。すべて余さず面の皮の奥深くへと封じ込め、代わりにもはや我と我が身を顧みぬ、党利も保身も眼中にない、ただ憂国の至情ばかりに身悶えしている大忠臣の演出を、全身全霊で以ってした。


 続く言葉もまったく模範的である。

 


「今度の事件は頗る重大性を帯びてゐるがあの人達は政党政治のどこが悪いといふのだらうか、勿論政党員の僕にしても現在の政党が全部よいとは思ってゐない、しかし具体的な欠点を指摘せず直接行動に出ることは是認できるだらうか。
 政党が堕落してゐるといってこれを殺してしまったのでは立憲政治はやみだ、自分が政党の方を専心やる決心をしたのも一つには政党の改革を仕事として政党政治の信用を確立したいためだ」

 

 

Tsuyoshi Inukai May 15 Incident Asahi Shimbun

Wikipediaより、五・一五事件を報ずる新聞)

 


 沸騰する精神に、しかし無理矢理蓋をして、いかにも君子でございといった悠々迫らざる風を装う。


 気持ちの良い負けっぷり。この格好をつけられるか否かによって、政治家の価値は天と地ほどにも変わるのだ。

 

 なお、肝心要の大命は鈴木喜三郎を素通りし、斎藤実の頭上にこそ降りている。

 

 政友会単独組閣を絶対的な前提として主張して、連立無用、協力内閣の如きものは国難打開に無効果である、強き内閣は強き政党を背景とする政策の強行であるーーと、総裁の座に就いて以後、まるで熱に浮かされたみたく叫び続けた鈴木の姿勢と反対に。

 

 斎藤実は政民両党の協力をとりつけ、挙国一致体制のもと新内閣を発足し、第三十代日本国総理大臣として「困難な時局」に臨むのである。

 

 

 

 

 


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