穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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魚肉の恩 ―『どぜう文庫』と『鮭卵』―


    どじょう料理の老舗たる、東京浅草駒形屋。そこの御亭主、渡辺助七、あるとき奇特なことをした。


 学芸振興の名目で、一万円をぽんと投げだしたのである。


 投げ込み先は京商、やがて一橋へと至る、旧制官立大学である。時あたかも大正十四年が晩秋、霜月の頭ごろだった。

 

 

Tokyo College of Commerce,1921

Wikipediaより、東京商科大学

 


 筆者わたしの記憶が確かなら、日清戦争開幕時、福澤諭吉先生が軍資義捐金として財布から引っ張り出したのも、やはり一万円のはず。


 俺がこれだけ出したんだから、てめえらもケチケチすんじゃねえとの、世の富豪らへの「呼び水」的なカネだった。


 三十年弱を経て、円の価値もだいぶ変動しているが、それでもかなりの大金たるを失うことはないだろう。


 現代の貨幣価値に換算して五百万は下るまい。


 それを下町のめし屋が出した。


 気前よく、分割でもなく、一括で。

 

 

Komagata Dozeu -01

Wikipediaより、駒形どぜう本店)

 


 客に学生も多く居て、馴染みがあったからであろうか? ――とまれかくまれ、


「これで本でも買っておくんな」


 図書購入費に宛ててくれとの厚意に対し、当時の学長、佐野善作の喜びたるや一方ひとかたならず、


「では、この一万円で調達した書籍で以って、『どぜう文庫』を創設しましょう」


 そんな約束を交わしたそうだ。

 

 

Zensaku Sano

Wikipediaより、村上善作)

 


 ここまで書いて思い出す。そういえば北陸地方にも、魚介にちなんだ学業絡みのなにがしかがあったな、と。


 そうだ、越後だ、新潟だ。村上鮭塩引き街道だ。

 


「越後村上といへば古来鮭の名所で知られる。今も『鮭でありんす』とふれあるく、売子の声は耳に珍らしい。町の西を流れる三面川は、越後でも特に美味のものが遡行するので、藩の専有となり、最近まで村上出身の子弟の奨学資金として、鮭の売上高は保留されてあった。だから土地では成功者のことを『鮭の卵』といふとか

 


 理学士・徳重英助による、昭和五年の報告だった。


 日本人の精神風土と、魚肉はやはり繋がりが強い。

 

 

(北海道、岩内漁場)

 


 駒形どぜうは創業二百二十年、現在でもなお浅草に在り、江戸名物の看板を維持し発展させている。

 

 

 

 

 


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