穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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すべてがギャンブル ―賭博瑣話―


 何にだって賭けられる。天気だろうと、死期であろうと。


 ダイスやカードなくしては賭博が出来ないなどというのはあまりに浅い考えだ。窮極、人と人とが居るならば、ギャンブルは成立させられる。


 帝政ドイツの盛時には、モルトケの口数に於いてすら、彼の部下どものベット対象に具せられた。

 

 

Count Von Moltke circa 1865

Wikipediaより、モルトケ

 


 毎年々々、皇帝の誕生日がやってくるとモルトケは、将軍たちや参謀部附の将校どもを差し招き、このハレの日を共に祝うならわし・・・・だった。数次を経るうち、客のひとりが、ふと言った。


 ――パーティの開始を告げる元帥の辞、皇帝陛下のご健康を祝するためのスピーチは、きっと、必ず、十語以内に収まるだろう。


 と。


 衆の反応は分かたれた。


「さもあろう」と頷く者と、

「まさか、そんな、いくらなんでも穿ち過ぎた観測だ」正気まともに取り合わない者に。

 

 

Standportrait der Kaiser Wilhelm I

Wikipediaより、ヴィルヘルム1世)

 


 既に対立の構造がある。


「ならば、賭けるか? どっちの見方が正しいか」
「いいだろう」


 はっきり白黒つけない限り、おさまらない流れであった。


 几帳面なドイツ人、しっかり審判役まで選ぶ。パウル・フォン・ヒンデンブルク、やがてモルトケと同じ階級、陸軍元帥まで至る、彼に「仕切り」が託された。


 やがてモルトケ出現あらわれて、盃を厳粛に取り上げた。


 結果が出た。


「諸君、皇帝万歳!」(Meine Herrn, der Kaiser hoch!)


 それが今年の、モルトケの祝辞のすべてであった。「十語以内」派の勝ちである。負けた側は臍を噛み、したり顔の勝者らに財布の中身を吐き出さざるを得なかった。

 

 

 


 堅物とか、几帳面とか。およそそうした概念の塊めいたドイツ人、しかも軍人社会にも、打ち寛ぐと言うべきか、ウィットに富んだ、こんな部分が存在していたようである。


 ――この程度のこと、不敬にもならぬ。元帥に対しても、皇帝陛下に対しても。


 どうもそういう認識が成立していたようだった。

 


「余の机の上に一塊の大理石が載ってゐる。これは、わが皇帝の棺の置かれてあった古い寺院から取って来たものである。余にとってこれにまさる愛すべき贈り物はなかった。今日この石を眺めて、如何なる感慨が湧き起るかは、余は改めて書き記す必要はない」

 


 自伝の中にて、亡き主君へと、こうまで熾烈な忠愛を捧ぐヒンデンブルクが許してる、けしからぬとも何とも言っていないのだ。

 

 

Bundesarchiv Bild 183-C06886, Paul v. Hindenburg

Wikipediaより、パウル・フォン・ヒンデンブルク

 


 議論の要らぬことだった。

 

 

 

 

 


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