明治三十年である。
大蔵省の役人が、関西へと赴いた。
現地に於ける銀行業の実態調査。それが出張の名目だった。
(Wikipediaより、初代大蔵省庁舎)
なんとも肩の凝りそうな、生硬い話に聞こえよう。ここまでならば確かにそうだ。が、一行中に「
騒動は、奈良に於いて生起した。
その日、一行が宿泊したのは「三景楼」なる高級旅館。奈良三大家の一つにも選ばれるほど殷賑を極めた店舗だが、ふとしたものの弾みから、ここの番頭が宿帳記載の「勅使河原」を「
「ひえっ、えらいこっちゃ、天子様の御遣いがウチに泊まっておるんかい」
番頭は禿げ上がるほどぶったまげ、
「辱けなくも一天万乗の大君より降し玉ひたる御使を宿し参らせしこと、子々孫々までの名聞なり、
たちまちのうちに従業員を招集し、如上の訓示を発したという。
(皇居・内観)
それだけでは終らない。
事態は更なる拡大を、外部へ波及するに至る。
「ウチの宿に勅使様が」
との報は、警察にも届けられ、署内はために激しく動揺、既に退勤済みだった署長が慌てて盛装し、駆けつけるまでの観を呈した。
そこで漸く誤解が解けて、一同「唖然大笑して事果てにきとぞ」――。
なんともお後がよろしいようで。ここまでなると話はもはや落語めいて来るのだが、しかしあくまで実際の事件。
「鎌倉ハム切り売り」を「鎌倉公切り売り」と、――源頼朝の亡骸を切り刻んで売る算段か、あな無情やなと、早とちりしてのけぞった老爺の話は蓋し人口に膾炙済みだが、「勅使河原」の一件も、その亜種たるをきっと失わぬであろう。
いやはやまったく、思い込みは恐ろしい。
(春日大社、鹿の角切り)
人間の眼はときにとんだ悪戯をする。
確認を怠らないことだ。
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