穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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リトマス試験紙、徳川氏


 一種の「リトマス試験紙」だ。


 明治の書物を手に取る場合、著者が旧幕体制を、ひいては徳川家康を、どのように評価していたかにより買うか否かを決めている。後ろ足で砂をかける無礼を犯しちゃいまいな? と、立ち読みしながら常に気を遣うポイントである。

 

 

フリーゲーム『芥花』より)

 


 如何に維新の「負け組」に転落し去ったとは言えど、二百五十年の永きに亙り日ノ本を能く統治した、その実績まで葬り去られるべきでない。歴史には敬意を払わねば。江戸徳川の泰平を、暗黒時代と一蹴されてはかなわない。あまりに心が無さすぎる、人でなしの所業であろう――。


 そうした点で植木枝盛は失格であり、陸羯南は合格だった。


 左様、羯南、陸奥みちのくの産、本名みのる


 例の『日本』新聞の創刊者であるこの人は、社説欄にて家康を三河の老猾」云々と随分ひどい渾名で呼んで、ところがしかしその業績に至っては、

 


「…三百年驩虞の治は実に王政の流弊と覇道の通患に鑑る所あり。道義を扶植し気節を鼓舞し、所謂武士道なるものは如何に社会の紀綱を牢乎たらしめけん。国民をして各々其職分に殉ぜしめ、天を楽み性を遂げ俯仰天地に愧ぢざるの観念を誘掖注瀉せしを思へば、誰か其施政の方針を至れり盡せるを嘆美せざらん。仮設たとひ漢洋の歴史を千索百討するも、未だ嘗て其比を見ざる所のものなり。而して其淵源する所は、唯だ彼れ老猾が百年の遺謨に職由せずんばあらず。治道に志あるものは深く考察する所なかるべけんや

 


 これこの通り、表現力の限りを尽して褒めている。

 

 

 


 筆者わたしの知る限りに於いて、明治人の身でここまで言った論客は、他に福澤しか――我徳川の封建は古来当時に至るまで日本文明の頂上に達したるものにして、今より顧みるも見るべきもの甚だ少からず。其詳論は之を他日に譲ると雖も、翻訳の文字の為めに事実を誤ることなきやう、特に外国人の注意を乞うものなり」――居ない。


 だから買った。棚に戻すことをせず、そのままレジまで持ち行った。


 我ながら狷介固陋な性格と呆れ果てるばかりだが、東照大権現神君徳川家康公を日本史上最大・最強・最高の英雄なりと信奉している筆者わたしにとって、ここはどうにも譲れない。譲っては自我が罅割れるゆえ、仕方なし。


 それで現在、本書を読み進めているが――。神奈川県から多摩三郡をむしり取り、東京府編入しようと国が画策した際も、羯南先生、幕府の仕置きを引き合いに出し、国の姿勢を支持しているのが面白い。

 


東京府の多摩三郡に於けるや、啻に唇歯の関係のみならざるなり。適切に之を譬ふれば、猶ほ脳髄の心臓に於けるが如し。東京は身体の首位に在り他の局部を支配するも、之に向て血液を輸送する者は則ち彼の三郡なりとす。詳言すれば東京百万の人民は三郡の供給する飲用水に依りて其生命を保続するなり。…(中略)…深いかな、幕府の民政に心を用ゆるや。水道の取締りは遠く其源流に及ばざるべからざるを知り、水源たる山林は特に之を東叡山の寺領と為し、人民をして妄りに侵すことを得ざらしめ、又た水路の両側は之を官有に帰し、以て其の清潔を保持したりと聞く」

 


 水源地を中国人に買い漁られても無感覚でいる現代人に、百万遍は音読させたい箇所だった。


 水は命だ。

 

 

奥多摩にて撮影)

 


「維新以来旧物の破壊と共に此等の美制亦た其の跡を留めず、而して政府は今日になり始めて其復旧を図らんと欲す。若し之をして其の非を悟ること早からしめば、豈に此の如く分合問題の為めに心を労することあらんや。然れども今日にして之を悟る、尚ほ可なり」

 


 気付くのが遅い、遅すぎる。


 お蔭で無駄に手間を増やした。


 しかし、それでも、まだ、辛うじて、致命的・・・にはなってない。今日のうちに気付けただけでも、政府にしては上出来だ――。意訳するなら、だいたいこんな調子であろう。

 

 

檜原村にて撮影)

 


 当分はこの羯南が、我が書見台を飾るであろう。彼の筆から「明治」を眺める。かなり、相当、楽しませてくれそうだ。

 

 

 

 

 

 

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