1940年、腐ったドアを蹴飛ばすような容易さで、フランス第三共和政は鉤十字の軍勢に圧倒、崩壊、陥落し、城下の盟を結ばされた次第であるが。かかる無様を招き寄せた一因に、先んじて展開されていたポーランド戦線の戦訓を何一つとして有効活用できなかったことがある。
フォウニー・ウォーの期間中、そうする機会はいくらでもあった筈にも拘らず。
フランス人は「時」という、
結果、独軍の戦術やら新兵器やらにいちいち白目を剥かされて、乱離骨灰、国土を守れず、敵の軍靴に蹂躙される屈辱を、世界と歴史に晒す憂目に遭ったのだ。
当時、従軍記者として前線に身を置いていたアンドレ・モーロワその人と、とある仏軍将校の取り交わした会話こそ、このあたりの消息を最もみごとに表徴したるものである。
…火炎放射器タンクだの急降下爆撃だのに対して、兵を馴らさせる訓練を何故やらないのか、と私がある将軍に訪ねたことがある。
「兵が戦場で初めてこの種の攻撃を経験すれば」と私はいった。「彼等は恐怖に襲われるでせう。それに反して、若しも、兵が前もって、さうした場合の光景といふものに馴れてゐれば、印象の新奇さは遥かに薄いんぢゃありませんか?」
「君の意見は全く正しい」とその将軍は答へる。「余もその点を上層部に対して度々希望したのであるが、しかし、戦車による演習は畑の作物を駄目にするから、政府当局が反対するといふ返事であった」
これはもう、ほとんど笑話に類するが、しかしながら日本人は、おそらく日本人だけは、あながち笑い飛ばせない。
なんとなれば、我々とても
それは例えば成田の如く、忌々しいアカどもが裏面に働き、跳梁し。無智な漁民に要らざることを吹き込んで、扇動、工作、傀儡化した結果であるが。他人の足を引っ張ることに関しては、連中まったく玄人芸と認める以外にないだろう。
人間世界に戦は絶えぬ。べつに砲火を交わさずとても、そいつは常に行われている。そして日本国民は1940年のフランス同様、負けるべくして負ける
この「負け癖」が雪がれるのはいつの日か。
寒心に堪えぬ限りであった。
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