第八回衆議院議員総選挙の中で生まれた
時は明治三十六年、有権者への戸別訪問を禁じる法は未だ存在していない。
ごく当然のなりゆきとして、候補に立った誰も彼もが
なんとも熱心で結構なことだが、有権者の身に立ってみればどうだろう。それも政治に関心の薄い、現代式のノンポリ的な有権者にしてみれば――。
毎日毎日、けたたましく鳴る呼び鈴に、まったく興味の持てないことを熱心に語る客への応対、煩雑さ。神経をささくれ立たせる度合いときたら、選挙カーなぞの比ではあるまい。
――いい加減にしてくれ。
と、内心密かに悲鳴を上げたのではないか。
岡山に棲む某なる有権者は、まさにそうした典型だった。堪忍袋の緒を切ったとさえいっていい。彼はもはやこれ以上、選挙の「せ」の字を聞くのも厭で、憤然筆を取り上げるなり、
黒々大書、その紙を、べったり門前に貼り置いた。
犬でも追うような剣幕だった。
効果はすぐに顕れた。
ただし彼の期待とは、おおよそ真逆の方向で、である。
手紙が来たのだ。「左様な貼出しを成し置く貴殿の如き頼母しき御方の投票を得るは至極光栄」とかなんとか、面談謝絶の掲示さえ褒め殺しのタネにする、図々しさの権化のような手紙が、だ。
(なにをこの、歯の浮くような)
眉根を寄せる一方で、しかしこんな攻勢のかけかたもあるのかと、奇妙な感心が訪れもする。
これぐらい押しが強くなければ代議士なんざ務まらぬ、利害得失の複雑怪奇に入り混じる政治世界で羽翼を伸ばすことなんぞ夢のまた夢じゃあるまいか、と。
差出人は福井三郎。
選挙期間中の演説会で、
「人の
聴衆から
「あれは小学校教員時代の
これこの通り、
福井にとってはこの
大したやつだ。骨太と呼ぶに相応しい。政治家たるもの、これぐらい個性的であってくれねば。
なお、附言すると、彼の前歴には「小学校の教員」以外に、甲府日日新聞――山梨日日新聞の前身に相当――に奉職していた時期がある。
甲州出身の筆者とは、その一点であながち縁がなくもない。
ちなみに目下山梨県では知事選が絶賛進行中だ。
せめて福井三郎の半分ほども骨太な候補があって欲しいが、さて、どうだろう。
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