鶴見祐輔は弁達者である。
少なくとも世間の値踏みはそうだった。彼の登壇がプログラムにある演説会は、客の入りが輪をかけて素ん晴らしいと評判だった。

(viprpg『アゼクラvsクロノッポイⅢ』より)
とにかく人気があったのだ。永井柳太郎と相並び、言論界の花形役者、代表格といっていい。
『雄弁学講座』の如きを筆頭に、斯道の手引きを行うことも多かった。何事であれ、権威ある者からでなくしては、人は敬虔に学び取ろうとなどすまい。
彼の講演だけを蒐めた書籍も刊行されている。こもごも合わせて、当時に於ける声望を窺い知れるものだろう。
が、この鶴見が、実に意外なことを言う。
──俺は別に演説を、好き好んでやってるわけじゃあないんだよ。
必要に、求めに応じて仕方なく、己で己を鞭打つように強いてやっているだけで、衆人環視の只中であれこれ喋る行為自体に趣味や愉快を感じたことなど無いのだと。
それより独り書斎に籠り、自己の内奥の旋律だけに耳を澄まして純なる思索の結晶を、──珠玉の雫のしたたりを原稿用紙に写し取っていた方が、どれほど面白いか知れぬ、と。衝撃的な告白を、大正時代の終わりごろ、世間に叩きつけていた。
「自分は、長い論文を書くことが嫌いで、短い随筆を書くことが好きである。ところが、大正十年ごろは、論文のはやった時代で、短い随筆などはどこでも相手にしてくれなかった。折々新聞や雑誌のすみに出して貰ふぐらいのものであった。この時、自分の随筆を最も早く掲載してくれたのは『読売新聞』であった。その次が『サンデー毎日』であった。これが大いに自分の刺激となって、次から次へと随筆めいた小品文を発表した。
自分はよく演説をするけれども、正直に白状して、演説は好きでない。子供のときに、はにかみ屋の癖をなほさうと思って強いて始めたのがもとであった。従って演説をして愉快であった、と思ったことは殆んどない。之に反し、書斎に引籠って紙の上に、かうしてボリボリ字を書いてゐると、実に愉快である」
大衆が自分に望む姿と、自分が望む自分自身の在り方に齟齬が発生することは、古今東西たまによくあるところだが、この男の頭上にも、それが発見できるとは。

(『まつろぱれっと』より)
浮世は茶番狂言の如し、楽屋は則ち虚無に在り。
果たして然りとするならば、人は畢竟、皆役者。
「世間」に投影されている己の姿を把握して、ときに従い、ときに裏切り。客を飽きさせないように──彼らの興奮、醒めぬよう、有効な手を次々と打ち下せる者こそが、名優と呼ばれるのであろう。
そういう観方に則れば、鶴見は確かに名優だった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓
![]()
