「平安・繁栄・名誉・進歩の実現せられる時代を吾々に与へやうとして父祖は己を犠牲にしたのである。吾々は父祖を裏切ることはできない。父祖が吾々の為に遺した生命と偉業との精神を維持することを吾々は父祖の為に努めねばならぬ。換言すれば民族的精神・同胞的精神を吾々は維持しなければならぬ。父祖の意志を解すること、これが自分の願ひである」
フランスの哲人、エミール・ブートルーの発言である。
邦訳は広瀬哲士の筆による。一九一九年十月二十五日、フランス学士院に於ける講演の一部分であった。
(Wikipediaより、フランス学士院)
エミール・ブートルーは一九二一年、すなわちこの翌々年に永眠する運命だから、仄かながらもどこかしら、世間に対する遺言の響きを拾えなくもないだろう。
彼の講演、那辺を切っても金言ならざる部位はなく、一通り目を通すころにはすっかり虜だ、
是非ともこの感激を、一人でも多くに広めたい。
(Wikipediaより、エミール・ブートルー)
「平等、和楽の実現も推奨すべきであるが、高遠なる自然の事業には差別不平等の存するものである。固より下の者が上に登ることは善いことであるが、高きに導かうとして超ゆるべからざる限界を超さうとすることは望ましいことではない。競争からでなく嫉妬から生れた平等は一般の凡化である」
全く以ってその通り。
Ubisoftは三回くらい声に出して読むべきだ。
ポリコレで茹で上がった脳みそにぶっかけるには最適の氷水であるだろう。
「昔からフランスは祖国と人類とが決して相敵視する二つの物で無いことを教へてゐる。人類の為を謀る第一は祖国に奉仕することである」
このあたり、鶴見祐輔を髣髴として殊更いみじく耳底を打った。
あの温厚な自由主義者も、嘗て
(本栖湖と富士)
「思想・信仰・趣味・教育・感情は人によって一様でない。所信を異にする者と親密なる結合を成すことの困難は無論であるが、祖国は厳として存在しているのである。吾等が最善と目するものは悉く此祖国に負うてゐるのである。祖国は理想の顕現であり、一致結合して祖国の為に奮闘することによって初めて勝利の結果を収め得るのである。吾々が最大の力と其最大効果とを示し得るのは同胞相結合した時に於てゞある」
吉野作造チックでもあるか。
民主主義を奉じつつ、同時にまた筋金入りの国家主義者の顔も持つ。好みのタイプだ、たまらない。
(第二次世界大戦、ドイツ軍のパリ入城)
「革命の結果、其蒙った屈辱の結果、ドイツの民族的統一の意志、復讐の情熱、闘争嫉視の本能、征服支配の野心は益々新たなる力を獲つゝあるのである。
ドイツによって敗北の事実を了解せしむることは全く不可能のことである。戦争の結果兵火を本国に於て見るに至らざる限り敗北無しとするのがドイツの見解である。ドイツは依然として軍国である。飽く迄も執念深く、勤勉努力、計略を好み、隠蔽詐術に巧妙であるから、適当の処置を講じない限り、早晩事を開始するであらう」
エミール・ブートルーもまた、ヴェルサイユ条約の締結を以って永久平和の実現と視る、頭の中身のあったかい、楽園の住民とは異なっていた。
一線を画すといっていい。ちゃんと「二十年の停戦」式の、怜悧な視角に立っていた。
(ナチス突撃隊)
戦敗直後のドイツの地――ワイマール共和国を訪問した日本人に、重徳来助を挙げられる。
その紀行文に曰くして、「フランスに対しては何につけかにつけドイツ人の怨みは骨髄に徹してゐる。ドイツ今後の対外政策はフランスを中心目標とするのは明かである。独仏融和に至っては、現代の両国の大人共が生まれ変わって来ぬ間は断じて見込みはない」。
ブートルーの猜疑心の根深さは、重徳の観た情景と無理なく重なるものである。
あの時代を把握するのに非常に有望な窓口であるのは、もはや疑いないだろう。広瀬哲士には感謝しなければなるまい。エミール・ブートルーを知れたのは、実に僥倖の至りであった。
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