春の足音は恐怖でしかない。
花粉が飛散するからである。
涙と洟とあと色々で、顔面がグッチャグチャになるからである。
今日も朝から頭が重い。
ティッシュペーパーの使用量と反比例して磨り減る鼻下の皮膚層が、またぞろ神経をささくれ立たせる。
ああ、ジェノサイドの巻物が欲しい。
もし今、アレが手元にあったら、躊躇いもなく力いっぱい杉の木めがけて投げつけるのに。
山の保水能力も、生態系のバランスなぞも知るものか。洪水も山崩れもどうだっていい。それよりこの痒みを止めることこそ先決だ。……
ヤケクソもいいとこと自覚している。
こういう精神状態で、実のある読書が望み得られるはずもない。
せっかく『秘録 石原莞爾』を入手したのになんたることか。視線紙背に徹するどころか、ただただ紙面を上滑りしている印象だ。文字を追おうとすればするほど、徒労の感が強くなる。
インプットがこんなザマである以上、アウトプットが滞るのも道理であって。
いやはや、気が滅入ること滅入ること。杉村楚人冠が社説欄に書きつけた、
時には、世界中の人間が皆ことごとくこのおれ一人をいらいらさせる為に生れて来たのではないかと思ふことがある。(『十三年集・温故抄』290頁)
との一文に、つい共感してみたくなる。
そういえば同時代の大衆作家の随筆に、花見の誘いを
「植物の生殖器をありがたがって拝むような阿呆がいるか、この助平野郎」
と、えらい剣幕で突っ撥ねるつむじ曲がりの姿があったが、ひょっとするとあの彼も、花粉の齎す苦しみに呻吟している同士だったのやもしれぬ。
(自転車に乗る楚人冠)
状況は未だ前哨戦。本格的な飛散のはじまる三月以降、我が粘膜がどうなるか。想像するだにおそろしい。
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