医療行為の最善が予防にあるということは、いまさら論を俟たないだろう。
孫子の兵法になぞらえるなら、戦わずして勝つの極意そのものである。
日本でも早くからこのあたりの要諦に気がついていた人はいて、中でも高野六郎という医学博士は、その最も熱烈な信徒であった。
彼は文明というものを、極めて明快に定義していた。
病人の少ないことを指すのである。
文明国なるものは病気の少い国である。疾病予防の最も発達した国である。予防し得る病気を悉く予防し尽すといふことが文明の目標である。而して病気の予防が進歩し、健康が能く保たれる国民が今後の世界に於て優位を占めるであらうことは疑を容れない。(昭和六年発行『予防の出来る病気』2頁)
もっとも十九世紀オーストリアで性病の研究に取り組んでいたクラフト・エビングなる医師は、
「文明化とは、梅毒化することである」
という、高野とはおそよ真逆の見解を嘆息と共に漏らしているが、まあその詮索はいいだろう。
それよりも高野理論の実例を示したい。
そう思ったとき、真っ先に浮んだのがパナマ運河建設だった。
(パナマ運河)
彼の地に運河を開鑿し、以って太平洋と大西洋の連絡を簡便ならしめようと画策したのは、なにもアメリカが初めてではない。
フランスも同様の構想を抱き、しかもアメリカより早く実行に移した。1881年のことである。
音頭を取るは、スエズ運河の大功労者フェルディナン・ド・レセップス。フランス政府の後押しのもと、五万人の労働者を投入しての、まさに鳴り物入りで始められた事業であった。
が、失敗した。
パナマの気候は、その全地域が熱帯に属する。
熱帯――この二文字から多くの人が連想するのは、鬱蒼と繁るジャングルに、そこを棲み処とする珍獣猛獣、そして何よりHIVやエボラ出血熱といった奇病悪疫の宝庫であろう。
そのイメージを裏切ることなく、パナマにもまた感染症の両横綱が控えていた。
すなわち、マラリアと黄熱である。
(Wikipediaより、黄熱ウイルス)
着工間もなく、労働者がばたばた倒れた。
あわてて新規に補充しても、補充した端から使い物にならなくなるという有り様でどうにもこうにもキリがない。対策を講じあぐねている間に、被害はとうとう監督役の技術者にまで拡がりだした。
結局フランスの挑戦は、三万に迫る死体の山と多額の負債を産んだだけで、何の利益も齎さなかった。レセップスは失意に沈んだまま、1894年死の床に就く。
この失敗は、むしろアメリカを利するところ大だった。彼らは自分達が始める前に、まず過去の失敗は何が原因だったかを徹底的に調査した。
――結局、成功不成功の分かれ目は、一に労働者の健康保全にあるらしい。
討議を重ねて、はじき出されたのはそんな答え。
幸い米国陸軍黄熱調査委員の献身的な働きにより、黄熱病の感染経緯は既に闡明されている。
マラリアと同じく、蚊であった。
体調一センチにも満たないこの吸血動物が、しかしどれほど人間に対して恐るべき禍害を撒き散らしたかは、まったく言語を絶していよう。
――撲滅するに如かず。
そういうことになった。
パナマ運河建設の際、アメリカ人は並行して一帯の沼地の排水や雑草の刈り取りをぬかりなくやり、蚊を発生を未然に防いだ。
のみならず、労働者の住宅改善、衛生設備の普及等にも配慮して、疫病との闘いを貫徹させた。
インスタント食品みたいな手軽さで傀儡政権をでっち上げる一方、こういう繊細な努力も怠っていなかったわけである。
甲斐あって、1914年にパナマ運河は完成し、米国の繁栄をいよいよ泰山の安きにおいた。
先ごろ触れた米田実はあるとき『富国「アメリカ」の大観』なる稿を起して彼らの国民性に触れ、その由来を以下の如く考察している。
既住に於ける人間の長き努力に依りて十分に開発せられてゐるヨーロッパに於て、過去より継続せる状態を維持せんとする生活と異り、全く新しい天地に入りて厄介なる自然の障壁を征服し、自分の事業を打ち立てねばならぬのが、彼等の苦しき運命であった。然もその自然の障壁も圧倒的なものでは無く、努力のあるところ、豊富な資源から報酬が提供せらるるので、そこに亦楽しき運命も
なるほどアメリカはパナマに於いて「厄介なる自然の障壁を征服」し、「自己の事業」をもののみごとに打ち立てた。
その報酬は、繰り言になるが莫大である。
してみるとパナマ運河建設は、あらゆる意味でアメリカ的だったといっていい。
今日では、どうだろう。アメリカは果たして老いたのか。新型コロナウイルスの脅威に晒される中、先祖が幾度となく挑み、そして勝利してきた疫病との苦闘の歴史を思い起こさせ、衆を勇奮させる者がいるのかどうか、ちょっと興味が増している。
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