大正十三年五月三十一日の陽が昇るや、榎坂にある井上
庭に、異物が出現している。
死体である。
白襦袢に羽織袴を着付けたひとりの中年男性が、腹を十文字に掻っ捌き、咽喉を突いてみずからつくった血の海に、うつ伏せに沈んでいたのであった。
(Wikipediaより、井上勝純)
「昨晩まで、確かにこんなものはなかった」
深夜、闇に紛れて侵入し、自害したのは疑いがない。
しかし何故、この庭先で――? 彼の面相を見知る者は誰もなかった。
疑念は死骸の前に置かれた遺書によって明かされる。宛先にはサイラス・E・ウッズ――現職の米国大使の名前が。
内容は、ほんの数日前合衆国大統領クーリッジが署名した、所謂「排日移民法」に対する抗議であった。
余が死を以って排日条項削除を求むるのは、貴国が常に人道上の立場より、平和を愛好唱道せられ、平和指導者として世界の重きを思はしめつゝある貴国が、率先して排日法案の如き人道を無視した決議を両院通過して法律となす如きは、実に意外の感に耐へざるなり。
と、余計な挨拶を挟まずに、冒頭からしていきなり本題に切り込んでいる。
人類生存上憤怒する場合種々あるも、恥辱を与へられたる憤怒は堪へ難きなり。恥しめらるべき事情ありて恥しめらる、大いに悔いて忍はるべからず。故なくして恥しめらる、憤怒せざらんと欲するも堪へ難きなり。余は日本人なり。今やまさに列国環視の前において、貴国の為めに恥しめらる。故なくして恥しめらる。
なにか、こちらに落ち度あっての懲罰ならば我慢もしよう。
深く自省し、二度と再び繰り返すまいと次に繋げる努力も出来る。
しかし今回の
少なくとも書き手の眼には、排日移民法とはそういうものに映ったらしい。
生きて永く貴国人に怨みを含むより死して貴国より伝へられたる博愛の教義を研究し、聖キリストの批判を仰ぎ、併せて聖キリストにより貴国人民の反省を求め、なほ一層幸福増進を祈ると共に、我日本人の恥しめられたる新移民法により、排日条項の削除せられんことを祈らんとするにあり。
「当家は米国大使館に隣接している」
夜の暗さに欺かれたか、あるいは流石に大使館の警備は潜り抜けられぬと観念して、隣の庭で間に合わせたか。
いずれにせよ、古式に則った見事な切腹の仕様であった。
一貫して乱れなく、端正な文字の風韻からして、よほどの覚悟あってのことと推察される。
「こやつ、さてはキリスト教徒だったのではあるまいか」
遺書を一読した者達は、ほとんど皆おしなべてそのような感想を口にした。
厚く天主に帰依したればこそ、同じ宗旨であるはずのアメリカの無道が一層ゆるせず、いわば「身内の恥を雪ぐ」思いも手伝って、ここまでのふるまいに及んだのではあるまいか、と。
「アメリカ心酔者にとってはよいみせしめだと思ひます。自殺した人も大方平生アメリカを信じてゐたため、欺かれたといふ憤激を深くしたのでせう」
東京女子医科大学創立者、吉岡彌生もこのような見解を口にした。
そういえば、やはり敬虔なキリスト教徒であった島田三郎も、大正二年カリフォルニアで排日土地法が可決された際には首筋まで真っ赤にして憤激し、口汚くアメリカを罵っている。
東京神田青年会館の壇上から、彼はこのように獅子吼したのだ。
排日案として現れた議案三十七、その中には日本人の土地所有禁止ばかりではなく、洗濯業の打破、漁業者の重税、酒類販売を禁止してホテル業、飲食業を廃業せしめようとする意図まで含んでゐる。この不真面目極まる排日案を、狂熱に浮かされ叫んでゐる北部加州人は、実に英国の政策によってオーストラリアから加州に送った殺人、強盗、無政府主義などの罪人の子孫、又は罪人それ自身である。かやうな兇悪獰猛な罪人と、一攫千金を夢見た山師達が、加州移住民の祖先であるから、人道などの判る筈はない。
島田の舌鋒は鋭利すぎるほどに鋭利であった。
さすが田中正造の盟友として、彼と、彼の闘争を支え続けただけはある。
(Wikipediaより、島田三郎)
島田の演説、未だ終わらず。一言ごとにボルテージを上げながら継続される。
加州は、今から六十八年前、即ち日本の弘化三年メキシコから分離し、嘉永二年に合衆国に併合せられたのだ。当時は人煙絶えたる無人の荒野であったが、併合と同時に金山発見せられ評判となり、続々坑夫や例の罪人が来たのである。それを今日開拓したのは誰であるか? 実に日本人である。開拓の大恩人たる日本人に酬ゆるかくの如き悪虐が、米国の国家としての態度であるならば、日本人は正に蹶起せなければならぬ。
いささか誇張の気味はあるが、まんざら根も葉もない話でもない。
実際問題、この排日土地法で在米邦人が50万エーカー余りの土地を没収されたのは確かであった。
メートル法に換算して、およそ2023平方キロメートルに相当する。
琵琶湖を三倍してもなお僅かに及ばぬ数字。それも単なる荒蕪地ではなく、彼の地へ渡った日本人が鍬を入れ、肥料を施し、後生大事に育み上げた土地なのだ。
なるほど島田三郎が「蹶起」を奨めたくなるのも納得である。案の定、国内には米国討つべしの声が高まり、その激しさはグレート・ホワイト・フリート以来最高潮と評してよいものだった。
米国の自由の精神なるものが種々変る。時には帝国主義めく時もある。世界に対しお山の大将めく時もある。時には金貨主義めく時もある。所謂人道主義めく時もある。若し本当に自由の女神をして米国を象徴させる気ならせめて手は握っただけにして捧げるものを自由に取り換へられるやうにするがいい。
国の傾向の変化するままに或はサーベルを持たさせなければならぬ時があったろう。或は珠算盤を持たせるのが一番表現的な時もあらう或は玩具の采配を持たすのが一番米国らしい時もあらう。
記念像なぞといふものは気取った嘘を形に作り上げるまでのものだ。
漫画家岡本一平は、名著『紙上世界一周漫画漫遊』で合衆国をこう書いた。
蓋し至言と呼ぶべきだろう。自由の女神が現在握っているのは何か、以前読み違えて大火傷を負った日本人は、くれぐれも目を凝らしておかねばならぬ。
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