この「準備教育」は、本書の中でも特に出来のいい作品だと感心している。
頭の中で注射された科目曰く
「オイ、もっと其方に寄れ、俺の入る処がない」
「入る処が無ければ出て了へ。よく考へてみろ、一升桝へ一斗の米が入るか」
エネルギー曰く
「待て待て、俺が出てやる」
「入学志願中学の先生」
「模擬試験」
「小学校に於ける準備教育」
「家庭教師」
「夜間受持先生」
「親」――。
これらのモノに取り囲まれて八方攻めに知識を詰め込まされてゆくうちに、一番大事であったはずの熱量が、尻をまくってすたこらさっさと逃げ出してゆく。
そうして出来上がった人物は、如何に博識でも大抵創造的発想力を欠いており、昭和の御代ではよく「手足の付いた事典野郎」などと呼ばれてからかわれたものだ。
教育にまつわるジレンマを、鮮やかに戯画化しているだろう。
プロは方便
彼は演壇に立って弁じる時はいつもプロの味方だが、あれで彼は土地を買って先の発展を楽しんだりして居るんだからな、プロは彼の方便で実際はブル生活を望んで居るんだ、と云ってる処へオイ居るかっと入って来た大男は彼れであった。
この場合の「プロ」とはむろん「プロフェッショナル」のことでなく、「プロレタリアート」こそを意味する略語である。
同時期に出版された今岡一平の作品にも、
彼は文筆の上では大の労働者の味方である。演壇上に於ても亦大の労働者の味方である。同盟罷工中資本家に向ひ、交渉に行く時には就中労働者の味方にして何万何千人の職工の父と称する。
それが道を歩いてる途中酔に機嫌よくなった通行人の労働者より一寸肩へ手をかけられ「オイ兄弟」と云はれて嫌な顔をする(『一平全集 第五巻』131頁)
という人物が出てくることを勘案するに、これは当時の漫画家が赤色分子を揶揄する上での一つのテンプレだったのだろうか。
女は曰く
・畜妾を取りしまれよ
・女のみ貞操を強ゆるは不条理なり
・女工を優遇せよ
・私生児を産んだ女を扶助せよ
・子を産まして逃げる男を罰せよ
・公娼を廃止せよ
・酒は三杯を超過すべからず
・参政権を与へよ
等々々々々々々々々
ここに書かれたほぼ全てが実現される日が来ようとは、描き手の細木原青起もまさか思わなかったに違いない。
退社時間
退社時間が来ても課長が中々引上げない。皆ンな、用もない帳簿をヒックリ返したり、無駄書きをしたり、時計とニラメックラだ。課長は新聞の三面記事から目を離さない。
つくづく勤めがいやになる。
月給の取れた当座は一寸気が大きくなるが月半過ぎると食堂でも胃病と称してライスだけ注文して食卓備へ附の塩とソースをかけて済ます月給前に日曜と祭日が続くほどサラリーマンにとってみじめな事はない。
月給取り、企業戦士、社会の歯車、働きバチ、社畜――。
時代の流れに従って、渾名は移れど、サラリーマンの実態、その悲哀だけは変わらない。
こういうのを見ると、現在の日本国は間違いなく大日本帝国の延長線上にあるのだと、しみじみ実感してしまう。
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