穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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アイルランドのタウセンド ―人の未知なる部分について―

 

 寝つきの悪さに悩まされている。


 ここのところ、どういうわけか夜中布団に入っても、なかなか「眠り」が訪れてくれず、一時間以上も瞼の裏の闇を見つめて悶々とすることが多いのだ。


 おかげで日中でも思考がときに粗雑化し、集中を保つのが難しくなり、このままいくと遠からず重大なしくじりを演じそうで気が気ではない。


 こんなとき、野比のび太が羨ましくなる。たったの0.93秒で入眠することが可能であった、おそらくは日本一有名な小学生が。彼の如くまるでスイッチを切り替えるようにあざやかに、意識のオンオフをコントロールできないものか。


 これはあながち夢物語とも思えない。というのも世の中にはもっと凄まじいやつがいて、眠るどころか自らの意思で死んだり生き返ったりできたというから、それに比べれば現実味のある、随分と慎ましやかな願いであろう。


 生と死の境界線上で戯れるその人物は、アイルランド共和国の首都、ダブリン市に住んでいた。


 名を、タウセンドというらしい。

 

 

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(ダブリン市)

 


 彼の臨死体験は多くの医師の見学に供され、克明に記録されている。以下はそのうちのチェイノなる人物が遺した記述。

 


 彼はいつでも、その好む時に死んで、又自家の努力によって蘇生し得る、彼は仰臥して、暫く不動でゐた。この時脈を取ると、それが次第に弱くなって遂に打たなくなった。それで種々精細な方法を用ひて、之を窺ったが、それでも脈拍は不明であった。
 ドクトル・ベイイルドも、胸部を検して、最小の運動をも感ずることが出来なかった。ドクトル・マクラインは、口に鏡を当てて見たが、その面に少しも曇を生じなかった。一口に言ふと、彼には生の最小徴候をも見出さなかった。(昭和十年、石川成一著『世界奇風俗大観』237頁)

 


 この時代に脳波を測定する術がなかったことが惜しまれる。

 
 とまれ、タウセンドの「死に様」があまりに見事でありすぎたため、集まった医師たちはこの状態から再び息を吹き返すなど到底有り得る話ではない、タウセンド氏は試験に深入りするあまり、とうとう本当に・・・死んでしまったと結論付けた。

 

 

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 ところが彼らの常識的判断は、下したそばからごくあっさりと覆される。

 


…吾等が立ち去らうとする時にあたって、彼の身体が少し動いたのを見た、そこで之を検して見ると、脈も搏ち、心臓の鼓動も次第に恢復して来た。それからやがて深く息を始むるばかりか、又小声で話し出した。(同上)

 


 2012年にもスウェーデン北部の林道で、雪に埋もれた車の中、食糧のないにも拘らず、自己の肉体を冬眠状態に導くことで二ヶ月間を生き延びた男性の話が伝わっている。

 

 この人物は発見時、22℃という極端な低体温状態で、大半の臓器が機能停止していたが、その後の経過は万事順調、後遺症を残すことなくすっかり恢復してのけた。

 

 

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 こういう話を耳にするたび、ジャイロ・ツェペリ


「人間には未知の部分がある」


 というセリフを思い出す。


 この未知の部分、ぜひとも開拓して欲しい。人間はもっと、その機能を拡張してゆくべきなのだ。「不死」は目指さなくともよいが、「不老」はどこどこまでも追及すべきだとのたまったのは誰であったか。うろ覚えだが、全面的に同意する。頭も体も衰えぬまま、百年でも二百年でも生きられるなら生きたいものだ。


 なんだかとりとめもなくなってきた。話の纏めに失敗した感がある。睡眠不足の所為であるに違いない。今夜こそ恙なく眠れるとよいが。酒の力でも借りようか。

 

 

 

 

 


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