由々しき事態が進行している。
未読の古書が切れそうなのだ。
世に垂れ込める大暗雲、忌々しいコロナ禍により、贔屓にしている神保町の古書店が、片っ端から休業していることに因る。日本どころか世界でも有数だった「本の街」は、今や繕いようのないシャッター通りと化してしまった。
事態が更に長期化すれば、二度と再びシャッターを上げられなくなる――店を畳まなければならなくなるケースとて
若葉萌え、生命の勢いづく季節というに、私の視界は色彩を奪われたような寂しさだ。
仕方がないので、同じ書痴の話でもして気分を紛らわすことにしよう。大正十二年九月一日、相模湾北西部を震源として発生した、マグニチュード7.8の巨大地震――関東大震災の、まさに只中。
文京区は弥生町の一角で、突如奇妙な振る舞いに及んだ人物がいた。
向こう鉢巻き、尻からげという格好で、血眼になってシャベルをふるい、庭の地面を掘り返すのは阿部秀助なる四十男。道路工事の人足めいた姿であるが、本来の彼は慶応義塾大学教授、堂々たる経済史学者に紛れもない。
頭脳労働専門の彼が、なにゆえ避難もそっちのけにして、似合わぬ筋肉労働に耽っているのか?
知れたこと、蔵書を
同じく慶應義塾の経済学者、高橋誠一郎の証言に依れば、この時点で教授が個人所有していた書籍の数は、ゆうに三千冊を超えたらしい。天井を摩し、礎石さえも沈ませかねない、この「知」と「文化」の結晶が、建物の倒壊や火災といったつまらぬ事情で失われるなどあってはならない悲劇であろう。
思うだに胸が張り裂ける。
人力の及ぶ限りを尽くして防がねばならない。
そう覚悟したればこそ阿部秀助は、余震の恐怖も呑み込んで、庭に穴を掘っていたのだ――三千冊すべてを埋め切れるだけの大穴を。
「危地に於いてこそ人の地金は露れる」とは、俗間に広く伝わるロジックである。
その筆法に則るのなら、阿部秀助という人は、筋金入りのビブリオマニアであることをこれ以上ないほど見事に証明してのけた。真に尊敬すべき先達である。
『近世商業史』や『総合経済地理』等々、阿部秀助の
コロナ禍が明けた暁には、神保町をブラつくついで、探してみるのもいいだろう。嗚呼本当に、早く終熄せぬものか。
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