穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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裏側から見た日露戦争 ―ドイツ通信員の記録より―

 

※2022年4月より、ハーメルン様に転載させていただいております。

 

 帝政ドイツの通信員、マックス・ベールマンは呆然とした表情で、ハルピンの街頭に突っ立っていた。これはまことに、戦時下に於ける光景か。

 


 市内は到る処遊戯歓楽に耽り、二ヶ所の劇場は孰れも喜劇を演じて居り、舞踏場は孰れも醜業婦に充たされ、倶楽部といふ倶楽部は会員が集って盛に賭博に溺れ、幾枚の百ルーブル紙は惜し気もなく甲から乙に支払はれて居る。又路上には美服を纏ひ、盛装を凝らせる将校官吏の妻子等、華奢なる馬車を東西に馳せ、(中略)各所の飲食店内はシャンペンの流れ河をなすの有様であった。(『戦記名著集 十一』405頁)

 

 

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(話が違う)


 ベールマンが予てより想像していた戦地とは、こういうものでは断じてなかった。


 聴きたいのは客引きではなく突撃喇叭の音である。


 期待していたのは感奮決死の勇士たちの姿であって、飲む・打つ・買うの三拍子を極める以外に興味のない将校連や、穴の開いた靴を履き、肉の削げた頬をひっさげ、レストランやホテルの中まで物乞いに来る兵卒たちの惨状ではない。


 前線には程遠かれど、ハルピンとは満洲の関門、日露戦争に於けるロシア軍作戦地の脊髄にも喩うべき要衝なのだ。少しは硝煙の香りが漂ってきてもよさそうなのに、街に瀰漫しているのは商売女の化粧粉と、ケバケバしい香水と、こってり煮あげた支那料理の臭気のみとはどういうことか。


(俺は戦争を調べに来たんだ)


 歓楽街の乱痴気騒ぎの取材なぞ、頼まれてもするものか――と、わけもわからず叫び出したい気分に駆られた。


(さっさと前線に身を移したい)


 とは、当然のように念願している。


 少なくとも遼陽まで行かないことには話にならない。本来の任務を果たすなど、夢のまた夢であったろう。


 ところがその宿望を、露骨に妨害する勢力がある。この地を統べる、ロシア官憲そのものだった。

 


 欧州輿論の代表者たる吾等通信員は己の意志に反して、止むなくハルピンに抑留されて居る事最早六週間に及むだ。奉天遼陽の二頭司令部は吾等をして公益を計る事も、一己の私見を発表する事も共に許さなかった。(中略)吾等の嚢中は日々払底になり、胸中不愉快にのみ襲はれて結局愚に帰ると思ふ程である。(426頁)

 

 

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 極東ロシアと「抑留」の二文字の間には、よほど深い絆があるらしい。


 この地で受けた通信員への対応を、ベールマンは「囚人に対する仕打ち」と手厳しくも批難している。


 なにしろ街中で写真を撮ろうとカメラを取り出すや否や、たちまち憲兵がすっ飛んできて鬼のような形相でこれを禁ずる。その対応の早さから、少なくとも二人以上の人員を常に尾行させているとしか考えられない。


 また、ハルピンから発する電報はすべて、ロシア語で以って記すべしと規定されたのも業腹だった。どう考えても、検閲を容易にするためだろう。


(監獄学をよく応用していやアがる)


 苦っぽく笑う以外になかった。


 ところがある日、にわかに一つの快報が。


 これまで通信員に耳栓・目隠し・猿轡を強要していた当局が、急遽それらを取り払い、奉天への前進命令」を下したのである。

 

 

奉天大広場-全満洲名勝写真帖

Wikipediaより、奉天大広場) 

 


(さてこそ!)

 

 ベールマンの胸は弾んだ。


 もとより発行部数の栄誉のためなら命もいらぬ、特ダネ探して弾丸雨注もなんのそのな連中である。降って湧いたこの好機に、飛びつかない者はなかった。たちどころに通信員の大移動が展開される。

 


 然し移転と共に又艱難刻苦の時が来た。吾等が奉天に到着すると幾何いくばくもなくして遼陽に赴くべしとの命令に接したのである。既にして遼陽に至れば又奉天に帰るべしとの事、再び奉天に帰れば又してもハルピンに帰るべしと命ぜられたのであった。(427頁)

 


(これはいよいよ、囚人扱いも極まった)


 一連の無意義な往復を、ベールマンはそう解釈した。


 近世へと時代が進むに従って、監獄の在り方も変化する。単なる収容施設ではなく更生施設へ、部屋に閉じ込めておくばかりではなく、時には日に当て、運動をさせ、囚人の筋骨を満足させてやらねばなならない。


(そういうことだ)


 ただでさえ尽きかけていたロシア政府への愛想が、底を割った瞬間であろう。


 ベールマン一行の奉天・遼陽ピストン行に関して、とある参謀将校は以下の如くに弁明している。


「諸君は我が輩がまだ化粧を終らず、衣服を改めずに寝衣を着て居る時分に此の地に来たのである。願くば一ヶ月後に再び来給へ、其の時諸君は真に歓迎せられるだらう」


 既に戦端は開かれているにも拘らず、なんとのびやかな口吻だろう。


 案の定、突っ込みを入れる者が出た。


「寝衣が若し清潔であるならば、之れを改めずに客に接しても差支はあるまい」


 むろん、参謀将校は黙殺した。

 

 

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(ハルピン市、聖ソフィア教会)

 


 この一件の後、少なからぬ通信員が失意を胸に欧州へと引き揚げた。

 


 事是に至っては外国人通信員に行動の自由と言ふものは全然ないのである。されば苟も常識ある者は寧ろ本国に帰るに如かずと思ひ、吾等の内仏独人各二名及び米人一名都合五名は実際貴国の途に上った。此の他にも将に帰国せむとする者もある。加ふるに満洲は吾等にとって甚だ危険である。何となればウィーン某新聞通信員は二週間前奉天司令部より急遽帰国を命ぜられ、同地からモスクワに至る迄は沿道の憲兵に監視された。(448頁)

 


 が、ベールマンは諦めなかった。


 執念といっていい。


 彼はその後も「甚だ危険」な満洲に留まり、ハルピン―イルクーツク間を彷徨し、僅かながら漏れ聴こえてくる戦場音楽に耳を澄まし続けるのである。

 

 

文庫 戦争プロパガンダ10の法則 (草思社文庫)

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