穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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五月一日 ─マルクス教徒の聖日に─


 大学教授の政治活動を禁ずるという内規に対し、吉野作造はさからわなかった。


 否、さからうどころの騒ぎではなく、両手を広げて頷いて、さもなりなんと積極的な賛意を示す側だった。

 

 

(viprpg『やみっちサッカー』より)

 


 理由はすなわちこう・・である、

 


教授は教育と研究との重大な責務がある。真剣な政治運動に入らうとするならば、この重大な責務にさし障りを来すことは免れ得まいと思ふ。教授といふ地位は、これを充たす個人を離れて、学校に対し学生に対して重い責任のある地位だと思ふ。だから自分の政治的活動がこの教授としての仕事に差し障りを来すなら、その地位を後進に譲ることが正しいであらう。それで不安な場合にはずっと自由な講師といった立場にあって、後進の足らざるを補ふに力めるがよからう」

 


 二足の草鞋を履きながらどちらの立場も十全に務めあげるは不可能だ、そんなのは人間に許された能力の限界を逸脱している。


 さればこそ、自分はかつて社会民衆党に対して産婆役を買って出つつも、いざ成立した同党へ、参加手続きは行わなかった。「自分はあくまで一学究でありたいと思ったから」、だから、最後の一線ギリギリで踏みとどまった心算つもりだと。


 不倫がしたけりゃ女房と別れてからやるべきだ、身軽になって白日のもと思いきり、なあそうだろうと言わんばかりの口吻を漏らしてくれたものだった。

 

 

(viprpg『フレイミング リターンズ』より)

 


 節度と云うか、常識と云おうか。


 吉野作造は一見尖鋭を装いつつも、しかしその実、肝心要の深いところで蓋し堅実な線引きがある、平衡感覚ゆたかな男だ。以前触れたる国家主義的発言といい、どうもそういう印象が強い。


 未熟で柔こい青少年の世間知らずな脳味噌にアカい思想を吹き込んだとして河上肇に激怒して、

 


「世の中に同情すべき親達のあるのを見る毎に気の毒に堪えぬものがある。共産党に投じた子供達を持った親達は取り分け同情を禁ずる能はざるものがある。教育の任にあった河上博士の如きは罪まさに万死に値する。徒に控訴する如きは思はざるの甚だしきものがある」

 


 と、名指しの批判を敢えてした例の林安繫も、吉野作造に対してならば辛うじて、理解の余地を持ち得たのではなかろうか。

 

 

 


 五月一日メーデーの日に、そんなことを考えた。

 

 

 

 

 


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