穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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謎の元勲・山縣有朋

 

 伊藤公はネタの尽きない方である。


 これは伝統的にそう・・なのであって、明治時代の新聞記者は三面記事に悩むと直ぐにこの「今太閤」を担ぎ出し、その私生活を赤裸々に暴いて悪口を吐き、ヤレヤレこれでシメキリ破りの罪を犯さず済んだワイとほっと胸を撫で下ろし、得々とするのが常だった。

 

 

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(森火山「印刷屋」)

 


 なんというか、伊藤博文という男には、そういう扱いをしても怒られないと、一種甘ったれたような雰囲気が自然と醞醸されていたらしい。

 

 これもまた、君子の徳というものだろうか。

 

 完成された人格が周囲に向かって放射する、説明し難い安堵感。如何にも東洋的であり、だからこそ当時日本を旅した西洋人は、一様に奇異の感に打たれざるを得なかったという。

 


 欧米の政治家は遥かに新興帝国の大政治家伊藤を想像し、非常なる人傑なりと思ふ、それは鎖国が開国となり、廃藩置県、立憲政治、条約改正より、日清日露二大戦役を経て、今日の隆運に達するまで、彼の干知せぬ事はあらざる故に、空前の英雄を想像するのも無理ならぬ事なり。然るに日本に渡来して、翌朝新聞を見れば、伊藤の艶種がある始末。此に於て外人は電気に打たれたる如く、不思議な感に襲はるゝ也。(『現代人物競べ』18頁)

 


 同じ長州藩士でも、山縣有朋とは正に天地の差異である。

 

 

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 (Wikipediaより、千円札の伊藤博文

 


 左様、山縣有朋


 日本憲政史を総覧しても、これほど噺のネタになりにくい奴というのは珍しかろう。私も色々な書籍を渉猟して廻ったが、この人の人格的香気を伝えるエピソードは非常に乏しく、何かにつけて無機質で、生身の人間かどうかさえ、ときに怪しくなってくる。彼の身体の何処を刺しても赤い血なんぞは噴き出さず、大理石の破片ばかりがカラカラと、乾いた音を立てながら散らばるのみではなかろうか、と――。


 伊藤も山縣も、同じ長州の産であるのに、この隔たりはなんであろうか。


 南部生まれの硬派文人「春汀」鳥谷部銑太郎は不朽の名著『明治人物評論』中に、以下の如く書いている。

 


…井上や、大隈や、伊藤や、皆露骨裸体の人物にして其長所と短所と共に既に明白なり、彼は独り然らず、彼は政治家として記憶す可き一の成功もなく失敗もなし、而も彼は巧みに隠れて巧みに現はるゝの術を善くし、曾て其の行蔵を以て人の指目を惹くの愚を為さず、故に彼は一種の秘密なり。(63~64頁)


 彼は最も失敗を恐る、失敗を恐るゝは名を惜む所以にして、名を惜むは身を保つ所以なり、故に彼は隠忍慎密先づ自ら布置せずして他の石を下すを待つの碁法を用ゆ、是れ伊藤春畝先生と雖も未だ悟入せざるの奇法にして、流石に滑脱なる先生も、其出処進退の巧みなるに至ては遠く彼に及ばざるもの洵に此れが為なり(67頁)

 


 山縣の個性を表現するに、これほど正鵠を射た記述というのを他に知らない。

 

 

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(明治三十一年発行『明治人物評論』)

 


 彼はまったく、巨大な謎の人だった。それが血で血を洗い骨で以って骨を削る、凄愴酸鼻な権力社会を生き延び続ける最善の策と気付いたゆえに、躍起になって自己の姿を晦まし通した男であった。甲斐あって、政治的な不死性を、この妖怪は確立し得た。


 ただ、その秘匿があまりに周到に行われたため、我々後世の眼をしても、山縣有朋を補足するのは容易ではない。


 これはこれで、よほどの意志力を必要とする生き方だ。「本当の私を見て欲しい」――こんな台詞は、しょせん弱者の泣き言に過ぎぬと、いっそ唾でも叩きつける勢いで喝破したのは確か三島由紀夫であったか。


 如何にも彼らしい烈しさである。


 その筆法に則るならば、実に山縣有朋こそ、井上も大隈も伊藤さえも飛び越えて、元勲中最強の漢と呼ばれるに値したに違いない。

 

 

Yamagata Aritomo

 (Wikipediaより、山縣有朋

 


「この人の人格的香気を伝えるエピソードは非常に乏」しいと、上段に於いて私は書いた。


 が、それはあくまで「乏しい」の範疇に留まって、ぜんぜん皆無というわけではない。


 最後にその一を書き添えて、本日の締めくくりとさせて貰おう。

 


 某県に於て、建碑の時、公(山縣)の潤筆を乞ひ、後ち、御初穂を献ずと称して、新米一俵を贈る。公命じて直に逆送せしむ。曰く、余は書家に非ず。報酬を贈る者には、今後依嘱に応ぜざるべしと。
 他の某県は、即ち御初穂と称して、真に小さき玩具の俵を造り、以て新米を贈呈す、公喜んで之を受け以て卓上に置く。(『明治人物競べ』229頁)

 

 

若きサムライのために (文春文庫)

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