淫するほどに書物を好む輩を指して「書痴」という。書に痴れきった、なるほど納得の文字列だろう。
大隈重信は耳学問の人であり、自ら読書する習慣は薄いと、そういう噂が既に盛時から高かった。
まあ、
大隈の外務大臣たりし頃、尚ほ少年者の如き、精力充溢して、端然として、長く居るに堪へ得ず。つねに煙草を吹かしながら、立ちて大臣室中を徘徊す。
当時秘書官加藤高明の来りて報告を齎らすや、談少しく長きに渉る毎に大隈即ち立ちて、グルグルと室内散歩を始む。加藤即ち前を見、後を見、左右に振り向きつゝ、以て大臣に面して報告を畢る。(昭和二年『現代人物競べ』177頁)
こういう一種極楽トンボ的な人間風景の持ち主が、一冊の書に視線を固定し、さても森厳な貌をつくろい、息を詰めての集中状態を持続する――そういう構図を思い描けるかどうかというと、これは困難としかいいようがない。
耳学問視されるのも、蓋し妥当であったろう。
もっとも当の本人はこの風評が不満でならず、何言ってんだ俺みたいな短気な男が大人しく人の話を傾聴していられるもんかよ馬鹿野郎、的外れも甚だしいと事あるごとに反駁したが、いかんせん。この類のイメージというのは一度染み付いてしまったが最後、牢固として抜けることを許さぬらしい。
貞永式目を咄嗟に「サダナガ式目」と読むような、そういう漢字の読み間違いを頻発したのも痛かった。自分で学術書を捲った
同じ元勲でありながら、真逆の世評を一身に受けた者がいる。
ごぞんじ伊藤博文である。
(牛島一水「初度の内閣」)
私人としては助平じじいの側面ばかり強調されがちな伊藤公だが、なんのどっこい、この人物が真に愛した第一は、碁でも酒でも女でもなく、活字の並びこそだった。何処へ行くにも鞄の中に二・三冊の本を忍ばせ、片手に葉巻を燻らしながら黙読するを悦びとした。
――悪い眺めではない。
宛然一幅の画の如しと、在世中から好評だった。
また、彼の読書は何か目的あってするのではなく、ただ単純に面白いから、鬱気散じて爽快だからページを捲る――「勉強」より「趣味」の傾向が強い気質であって、そのあたりも「書痴」と呼ばれる資格を十分以上に持っていた。
そういう伊藤公だから、名文を機に拾い上げたる人材傑士も数多い。末松謙澄、井上毅、伊東巳代治、朝比奈知泉――このあたりが好例か。
わけても末松謙澄を初めて引見した場面に於ける伊藤博文の振る舞いは、
…伊藤は殊の外好機嫌で、まあ此方へ通れと自分の室へ誘ひ、種々と話をした末、「若い時といふものは二度とはないから、何でも充分に精出して勉強した方がよい、
(Wikipediaより、末松謙澄)
養子の話こそ謝絶はしたが。末松はやがて伊藤の娘――次女生子と縁付いて、結局彼を義父と仰ぐことになる。このあたりの消息を、岩崎徂堂は
――何ぞ知らん、先に末松へ贈った二冊の洋書は、後に花婿へ初めての引出物とならうとは。
こんな具合に、剽げた調子で締めている。
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