穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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世界は変わる、戦争で


 開戦から半年で、ドイツの首都ベルリンはその包蔵せる女性の数を十万ほど増加した。


 増えたところの内実は、そのほとんどが俗にいわゆる「職業婦人」たちだった。

 

 

 


 男という男がみんな兵士になって前線に出払って行ってしまったゆえに、社会に大穴がぶち空いた。従来彼らが担っていた職分を、代わりに行い補填する、その為の人手が要ったのだ。


 かと言って、クローン技術じゃあるまいし、すぐにポンポン新たな人が生えてくる道理もまたあらず。


 必然として手元の資源の再検討、女の価値が見直される流れに至る。


 車掌に、脚夫に、看護婦に。――ドイツの女は家庭に閉じこもるのを止め、農村部からも這い出して、華々しき都会へと。社会の表面おもてに、わんさ・・・と浮上しはじめた。


 ――そういうことを生田葵が書いている。


 ロンドンに尻を据えながら、この小説家はベルリンの事情に実に詳しい。

 

 

(ベルリン市街)

 


 何故なにゆえか。世の中には抜け道も横穴もチャンとあるということだ。正攻法しか知らない奴が馬鹿を見る。絶賛殺し合い中の敵性国家の新聞を入手するということは、実際問題、可能であった。「戦前の四倍位の価格」を支払い、おまけに「日付は四、五日遅れ」はするものの、確かに購入できたのだ。職業上、情報収集に貪欲である生田葵はそれ・・をした。少なからぬ身銭を切って、引き替えに在英邦人グループ中でも有数の「事情通」になりおおせた。


 とどのつまりは人間世界、金さえあれば大抵の無理は通るのだ。


 生田葵の纏めたところの戦時下に於けるドイツ国民生活模様を以下に引く。

 


「ベルリンでは、夜のロンドン市はドイツのツェッペリンの襲来を恐るゝ余り、全く暗黒で通行は絶へて居ると信じて居るらしい。他国の都市で夜の燈火を隠すのに係はらず周囲悉皆敵のドイツの首府が、燈火に就て制限のないのはドイツ軍隊の強を證して余りありと云って居る

 

 

First Zeppelin ascent

Wikipediaより、ツェッペリンの初飛行)

 


「ベルリンでは今戦争のパンと称して甘藷いもを半分交ぜたパンが売られて居る。併し市民は矢張り其れをきらふので、密々に麦粉ばかりのパンを製して上等の家庭にパン屋が売込むらしいので其れに対しての下級民の苦情がある」

 


 Kパンに関する報せであろう。


 混ぜもの・・・・にしたのは甘藷ではなくジャガイモであり、分量も半分ではなく一~二割だが、味覚を冒涜する味で、市民の不評を買った点は間違っていない。

 


「牛乳とバターの価値ねうちに変化はないが、ベルリン人が何が無くても好物として食する腸詰は法外に高価に上って居る。牛肉はノルウェースウェーデンから供給されて市場は其の為に賑って居る。ノルウェーから思ひも寄らぬ夥多しい肉が到着して市民を喜ばす事もある」

 

 

(ベルリン、ウンター・デン・リンデン

 


 しょせん開戦一年未満、栄養不足で「爪のない赤子」が誕生し、しかも殊更珍しからぬ域にまで追い詰められてはいない段。


 地獄の扉が開くのは、まだまだこれからのことだった。

 

 

 

 

 


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