開戦から半年で、ドイツの首都ベルリンはその包蔵せる女性の数を十万ほど増加した。
増えたところの内実は、そのほとんどが俗にいわゆる「職業婦人」たちだった。
男という男がみんな兵士になって前線に出払って行ってしまったゆえに、社会に大穴がぶち空いた。従来彼らが担っていた職分を、代わりに行い補填する、その為の人手が要ったのだ。
かと言って、クローン技術じゃあるまいし、すぐにポンポン新たな人が生えてくる道理もまたあらず。
必然として手元の資源の再検討、女の価値が見直される流れに至る。
車掌に、脚夫に、看護婦に。――ドイツの女は家庭に閉じこもるのを止め、農村部からも這い出して、華々しき都会へと。社会の
――そういうことを生田葵が書いている。
ロンドンに尻を据えながら、この小説家はベルリンの事情に実に詳しい。
(ベルリン市街)
とどのつまりは人間世界、金さえあれば大抵の無理は通るのだ。
生田葵の纏めたところの戦時下に於けるドイツ国民生活模様を以下に引く。
「ベルリンでは、夜のロンドン市はドイツのツェッペリンの襲来を恐るゝ余り、全く暗黒で通行は絶へて居ると信じて居るらしい。他国の都市で夜の燈火を隠すのに係はらず周囲悉皆敵のドイツの首府が、燈火に就て制限のないのはドイツ軍隊の強を證して余りありと云って居る」
「ベルリンでは今戦争のパンと称して
Kパンに関する報せであろう。
「牛乳とバターの
(ベルリン、ウンター・デン・リンデン)
しょせん開戦一年未満、栄養不足で「爪のない赤子」が誕生し、しかも殊更珍しからぬ域にまで追い詰められてはいない段。
地獄の扉が開くのは、まだまだこれからのことだった。
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