お前コレ、半ばトランス状態で、感極まった勢いのまま一気呵成に書いたろう──。
そう突っ込みたくなる文章に、時たま出逢うことがある。
直近では高村光太郎にこれを見た。
然り、高村。
日本国で義務教育を受けた者なら、おそらく一度は彼の詩を朗読したに違いない。
「僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る」
と、黄金の精神みたような句を織り込んだあの『道程』を、青く柔こい脳髄に注入されているはずだ。

その高村が叫ぶのである。
一点の曇りだに無き喝采を。彼の最も好むところのベートーヴェンの旋律に、五臓六腑の底の底まで慄わせて──。
「ベートーヴェンは真に努力した、努力して音楽の天国と地獄とを究め盡した。ナポレオンが砲火が人を殺すものだといふ事を初めて知った人間であるとショウがいふやうに、彼は楽音が人の魂を打つものだといふ事をたうたう知った。彼の努力は人間が『聖なるもの』に近づかうとした努力である。どうしたら、どんなに自分の力を傾けたら、あの高きにあるものゝ聲を捕へ得るかに努力したのである。努力することを許された者は幸なるかなと思ふ。さうしてベートーヴェンは遂に人間の曾て到り得なかったほど高い上層の雰囲気に聴く宇宙の聲を人間のものとしてくれた。
われわれはかういふ努力を成しとげ得る者にこそ最上の敬意を以て天才の名を捧げようとするのである」
冷静な眼で眺めると何を言っているのかわからない、「宇宙は空にある」並みにちんぷんかんぷんな言辞だが、しかしとにかく熱だけはむやみやたらと伝わってくる。
圧倒的な熱量に、どうしようもなく押し流される。否、むしろ、進んで流されてしまいたくなる。
まあ、顧みれば白秋も、「自分の
「如何なる事情の変化は起らうとも人の魂は亡くならない。いくら亡くさうとしても自然に反する理論は続かない。理論で亡くし得る芸術はよい芸術でないのである。芸術の不死とは結局人間精神の不死と同意義である」
しかしやっぱり彼の文には、そこはかとない荒木飛呂彦

(『スティール・ボール・ラン』より)
「男の世界」的と云おうか。かなり特殊な力強さを感じさせてくれるのだ。
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