穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

古きボトラー


 あるいはボトラーの先祖と呼べるか。


 戦前、すなわち帝国時代の日本に、便所に行くため席を立つのを億劫がったやつが居た。

 

 

 


 職場にて、のお話である。


 それも尋常一様の職場ではない。


「お役所」だ。


 こやつの勤め先たるや、なんとなんとの中央官庁、当時に於いてもエリート中のエリートコースを突っ走った者にのみ辛うじて門戸を解放している、行政機関の枢要の大官の一名ひとりなのである。


 当然、彼が執務室にて使用つかうところの机ときたら、馬鹿馬鹿しいほど高級たかくて広い逸品で。


 だからこういう情景を成立させる余地もある。

 


「…官庁のある高官で遠い便所へ一々通ふを難儀とし、机の下に甞て含喇薬の入って居た壜をひそませておき、時折机の下で之を充行あてがっては済してるのがあった。机の下では妙な行動をしながら、上半身は談笑自若たりで、相対してる人も、まさか机の下で変態尿器を弄して様とは思はないから、小便して居ても誰も気附れない。机下の薬壜はほんとの薬壜として給仕には取扱はれて居る」

 


 医学博士高野六郎、昭和三年の刊行による屎尿屁』からの抜粋だ。

 

 

 


 割と最近手に入れた「医者の随筆」の一冊である。


 確かそう、彩の国所沢古本祭りの収穫だったか。積読タワーの結構上にあったから、おそらくそのあたりであろう。まあいい。戦前、本職以外にも、文筆の業を好んでふるう医師どもに、マッドな香りが濃厚だということは以前どこかで書いたはずだが、この高野六郎なる仁も、然り而して御多分に漏れず、変態的な偏りがそこかしこに見出せる。

 


「生理学的に考察すると尿は屎屁よりも遥に高尚なものである。尿の源は血液である。真紅に生命が溶けて躍動して居るあの血液が尿の母である。血液の濾液が尿となるのであるから尿は生物の本体に近い。従って尿中には生命のにほひがある。尿を研究すれば生命の神秘をも覗ふことが出来る。──尿をここまで詩的に謳い讃美可能な逸材に遭遇したのは初めてだ。


 なかなか貴重な体験である。

 

 

(『まつろぱれっと』より)

 


 それにしても、「真紅に生命が溶けて躍動して居るあの血液」と、血を生命の本体と視るか。


 高啓蒙な見識をお持ちのようで非常に結構。これはまたぞろ、ビルゲンワースに適性のあり気な人が居たものだ。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ