穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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死体の転がる東京で ―明治人たちの幼少期―

 

 維新回天の只中に幼年期を迎えた人々は、大抵その回顧録にて、東京の街なかにゴロゴロ転がる死体の姿を報告している。


 とりわけ有名なのは、やはり尾崎行雄のそれだろう。

 

 

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 この人は単に見た・・のではない。偶々視界に入ったとか、そんな受動的なものでなく、躾の一環として実の父から丹念な検分を強いられた。


「狼」と呼ばれた後の戦闘的性格からはちょっと想像しにくいが、子供のころの尾崎行雄は極端なまでに臆病な性質たちで、同年代の悪餓鬼どもから往来で石を投げつけられても拳どころか抗議の声さえ返すことなく、ただノソノソと歩き続けることしか出来ないという童であった。


 幕末、勤王の志士として家を飛び出し方々を駈け、幾度となく死線を潜った父親が、そんな息子の惰弱さに満足できよう筈もなく。


 ――根性を叩き直してやる。


 現代いまから見れば常軌を逸した、苛烈な教育に及んだわけだ。

 


 在学中の出来事として記憶に存するものは、殆ど一つも無いが、唯々首斬見物――罪人を殺す場合には、能く他の生徒と共に見物――に遣られたことがある。拷問見物――其当時裁判官が未だ行政官と分離されなかった為に、父は学務の外に裁判官のやうな仕事をもして居った。随って自らも拷問などをすることもあった。其時に窃かに私を拷問場の唐紙の蔭に呼んで、拷問する模様などを見せられた。(『尾崎行雄全集 第十巻』18頁)

 


 路傍に転がる割腹死体の検分も、そんな「躾」の一環だった。

 

 

Ishidaki

 (Wikipediaより、石抱)

 


 胆を練り、勇気を蓄え、優勝劣敗・弱肉強食が支配するこの浮世の荒波を、雄々しく漕ぎ渡っていって欲しい。切なる親心の発露であるのは間違いないが、当の咢堂にしてみれば、これほど迷惑なこともない。


 遠くから首斬りを眺めるだけでも胸がむかつき、血の気が引いて食欲の減退を来すのである。


 ましてや間近で、まじまじと、血と臓物とその他色々をぶちまけた凄惨な死に様を観察するなど、想像するだに卒倒しそうな沙汰ではないか。


(冗談じゃない)


 が、厭です私には出来ませんなどと口にしようものならば、たちどころに父親は仁王の化身に変性し、身の毛もよだつ折檻を我が身に強いることだろう。


 仕方なく、現場には行った。行ったが、極力死骸を視界の中に捉えないよう努力して、とにもかくにも「行った」という事実を以ってお茶を濁そうと企んだ。――それだけでももう既に、辺りに漂う異様な臭気が鼻を衝き、少年の繊細な神経をいたぶる、限界ギリギリの作業であったが。

 


 所が一緒に行った同じ位の年齢の子供はなかなかの剛胆ものと見へ、棒を以て腹の中を掻廻して居った。帰ってから其少年は褒められたが、私は大層叱られた。(19頁)

 


 この「豪胆な少年」型に属したであろう人物として、高田早苗が挙げられる。

 

 

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 大隈重信の同志であり、早稲田大学初代学長を務めたこの男は、その自伝たる『半峰昔ばなし』に於いて斯く述べた。

 


 皇政維新の年、即ち上野戦争の折り私は九歳で、それから後のことは多少記憶に残ってゐるけれども、其の以前の事は殆んど忘却して了った。上野の戦争は慶応四年五月十五日の出来事で、当日の騒ぎはよく覚えて居る。但し上野と深川とは大分隔って居るので、彰義隊の苦戦の光景なぞは目撃したのではない。唯だ其の前から世間が大分騒々しくなり、彼方此方で人が斬られたりした噂が伝はった。近所に然ういふ血腥い事が起ると、我々子供連は出かけて行って死骸を見物した事も二三度あった。(15頁)

 


 こちらは明らかに強制ではなく、みずから望んで、興味本位で駆けつけている。


 どうも当時の雰囲気を推察するに、半峰のこの反応こそ男児としてごく一般的なものであり、少数派に属するのはむしろ咢堂の方という観がある。


 ――同じ国土で、同じ言語を用いていても、時代が違えばこうまで常識の段階から異なるか。


 既往は遼遠にして遂うべきにあらじと雖も、湧き上がる感慨は抑えきれない。日本人も、思えば遠くまで来たものだ。

 

 

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