森有礼が駐米外交官として精力的に活動していた時期と云うから、つまりは明治四、五年あたりのことだろう。
筋金入りの開明主義で鳴らしたこの人物は、しかし
日本に
「活動範囲を居留地内に限定されては、到底使命を果せない」
と、口を揃えて文句を言って、自国の外交筋を動かし、
「居留地云々に拘束されず、必要とあらば何処へでも布教に赴く特権を是非とも我らに附与させよ」
と、声高に強請り出したのだ。

(無理だ)
唾液の粘度が途端に増した。
酸味と苦味の混淆した感覚が、有礼の口内を満たしたという。
(必ず、必ず、殺される)
と、思うのである。
維新回天成ったりとはいえ、世間人心の大半は攘夷攘夷で暴れ狂った幕末の騒擾を忘れていない。外国人と見れば即、腰の秋水をきらめかせ切って捨てるが時代正義と盲信している「志士」どもが、巷間にはなおうようよしている状態だ。
そんなところへ何百年も邪宗門と禁圧されたバテレンどもを解き放つ?
(血が流れないわけがない)
およそ論外の沙汰である。
あるいはそれでも本人たちは殉教の陶酔を感じつつ、幸福に地上を去れるのかも知れないが。遺される側、事後処理の任に当たる者こそ迷惑だ。事は周囲を巻き込んで絶対に拡大されてゆく。結果惹き起こされるであろう外交上の紛糾を

(が、あまり直截に断れば)
それはそれで角が立つのが、国際関係の七面倒さであったろう。
有礼、さんざん苦慮した挙句、ある駆け引きを思いつく。
それはある意味、独断で、国家の権利を賭物にする行為だったが、それでも他に策なしと腹を括ったのであった。
即ち、宗教には宗教である。
「よろしい、貴国宣教師らの、居留地外への布教活動を認めよう。その代わりとして我々日本の僧侶にも、貴国に於ける自由な布教活動を、どうぞ許してもらいたい」
言うまでもなく、ハッタリである。
虚喝であるのは日本人ならすぐ分かる。三百年の天下泰平、特権を食み安逸に馴れ堕落しきった仏教徒らに、未知の荒野へ踏み込んでゆく冒険心など残されているわけがない。

斯様な権利、附与したところで万に一人も積極的に活用してくる坊主頭は無い筈だ。
第一、当時の仏教界がアルファベットの教養なんぞ、どれほど備えていたものか。言葉の通じぬ集団がどれだけうろうろしていても、社会に対する浸透力など
ところがそうした常識が、当時のアメリカ外交筋には分からない。
彼らは有礼の提案を、イスラム原理主義者らにグリーンカードを渡すに等しい所業とでも解したか、それきりめっきり腰が引け、この件は沙汰やみになってしまったそうである。

森有礼の身としては、さだめし虎口を凌いだ気分であったろう。
後年、金子堅太郎は排日移民でいきり立つ日本社会に一連の噺を紹介し、
「…又自分が司法大臣時代に名古屋で公娼廃止の運動で宣教師が秘密出版の罪で罰金を科せられた時、宣教師の代表者が米国大使と同道で私を訪問し宣教師の罰金を取消してもらひたいと申込んで来たことがあったが、その時自分は司法大臣は行政上の機関で司法権の独立は如何ともすることは出来ぬ、しかし米国において日本人が犯した罪を大統領が勝手に許して呉れるといふ證明書さへ持ってくれば直に宣教師の罰金は取消してやると云ったので一言半句もなくそのまゝ引さがったことがある」
自己の類似体験談をも添えながら、
「こんな風で非常に我まゝ勝手なことを云っては見るがそれが駄目ならそれで引込む国民である、この呼吸は外交上もっとも必要なことであって米国人の相互主義を十分に理解してかゝらねばならない」
正義人道一本槍で真正面から突撃するだけでは駄目だ、もっと婉曲に、搦手を探し衝く業を体得するべきである、と。
(Wikipediaより、金子堅太郎)
いたずらに悲憤する国民に対し、智識強化を促すための教材として具している。
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