穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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わが師の恩 ─国別落第回避術─


 落第回避の口上ひとつをとってさえ、日本人と支那人との間には差異天淵もただならざるものがある。


 前者がもっぱら教授の膝下に額づいて、自家の窮乏を涙ながらに物語り、如何に余儀なき哀しい事情が試験に於ける不成績の裏側に伏在せるかを掻き口説き──ひとくちに言えば人情に訴え、あわよくば・・・・・の憐憫を期待するのに対照し、後者はまさに正反対、ひたすら欲得づくめでかかる。


「彼らの眼中、利しかない」


 とは、東京帝国大学講師、後藤朝太郎の言。

 

 

Asataro Goto

Wikipediaより、後藤朝太郎)

 


 本来極めて支那に同情的であり、日支提携に執心すること尋常ならざる彼をしてさえ、時にやりきれなくなって、こうして毒を吐いている。それほどまでに思考の基盤、常識レベルからして違う。


 支那人留学生たちは、およそ教授に対しても平気の平左で商取引・・・を挑むのだ。

 


「日本に来て居る支那の留学生は、試験を受けて落第しさうになると教師とか学校の当局とかを訪れて百円とか二百円とかの金を出し『金を取って置いた方が良いでせう、私を卒業させてくれゝば、私は尚沢山の留学生を連れてくる』と云ったさうである、斯う云ふ考へは総ての支那学生に共通である

 


 唐土に於ける師弟関係のおそるべきが窺える。

 

 

(南京市街)

 


「わが師の恩」に報いる術とは、師を儲けさせる以外にないのか。師匠の財布を膨らませさえしたならば、それで能事足りるのか。


 どうやら足りるらしいのだ。


 その旨、再び後藤に訊くと、

 


論語孔子が社会をうまく導く為めに書いたもので、支那の社会相を書いたものではない、言はゞ臭い支那の社会の蓋の様なものである、昔から支那人が如何に利に敏い国民であったかの一例を挙げて見ると、賢人の『賢』と云ふ字其ものからして、既に金を作ると云ふ事を表して居る、即ち下の貝の字は昔の支那の貨幣の事である、貨幣即ち財産を作る事の出来ぬものは、賢人の資格がなかったのである

 


 なんと鮮やかな黄金魔の国だろう。


 一周廻って、もはや感心したくなる。

 

 

(金州孔子廟

 


 誠意とは言葉よりも金額、金は命より重い。


「凡そ人に恩を施して置くと言へば、其最も論理的な方法は金銭であります」と、柳田国男も言っていた。教育の神聖など嘘っぱちだ。この世が濁世である以上、どこに行こうと、どこまで行こうと結局は、銅臭からは逃れられない運命である。

 

 

 

 

 


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