穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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百獣の王のキリン狩り ―『動物談叢』―

 

 動物園の花形と聞くと虎や豹、ライオンなどの大型の猫科動物がまず真っ先に頭に浮かぶ。

 このあたりの人情は今も昔も変わらぬらしく、『動物談叢』に於いてもこれら猫科動物のために割かれた紙面はすこぶる多い。 


 その中に、ライオンがキリンを狩る手口と云う、なかなかタイムリーな項があった。

 

 

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 キリンといえばその温厚そうな見た目に反して、存外戦闘力が高く、特に後ろ足の一蹴りは人体をまるで粘土細工の如く容易に破壊し得るものであり、その脚力で大地を駈ければ例え車に乗っていても容易に振り切れるものではない。


 そうした映像が近年続々とネット上にアップされて、ためにキリンに対する再評価が行われ、一部では最強説がまことしやかに囁かれるほどに至った。


 一対一で戦えば、ライオンも到底敵し得ないと――そのように語る識者は多い。


 斯様に強力なキリンを、しかしライオンは「餌食にする」と黒川園長は書いている。
 果たして如何なる手段を以って、そんな難事を可能にするのか?

 


 知れたこと。獲物が一番、弱い瞬間を狙うのだ。

 


 それは主に、水場に於いて訪れる。キリン最大の特徴たる、恰も火の見櫓の如き馬鹿長い首は数々の恩恵を齎しもするが、足元の水を飲む際にはひどく不便だ。


 肉体の構造上、牛や馬のようにすぐさま頭を地に着けることがキリンにはどうしても叶わない。


 だからそういう場合には、「先づ前肢を左右一尺五六寸の距離に開き、更に今一度、三尺から三尺四五寸の距離に開張する(154頁)という二段階工程を経た後で、漸く水にとどくのである。


 しかもキリンは、この開いた脚部を即座に戻すことが出来ない。二段階に分けて開いた足は、やはり二段階の工程を踏まなければ閉じられぬ。ライオンはこの構造的欠陥を熟知していて、主に水を飲む隙を狙い、えたり・・・や応・・と咬み殺す――『動物談叢』にはそのように書き記されている。


 ライオンが天性の狩人であることが、容易に窺い知れる内容だろう。

 

 ただ戦闘力の高さのみが、狩りを全うする条件ではない。『Bloodborne』の狩人とて、あれを無双ゲーか何かと勘違いして無為無策に猪突したなら、序盤も序盤、ヤーナム市街の広場さえも突破できずになぶり殺しにされるのが関の山であるだろう。よい狩人とは状況が自分にとって有利なものになるまで待ち、場合によってはみずから作り出そうとするものだ。


「百獣の王」の威名は伊達にあらず。獅子はやはり獅子なのだ。

 

 

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 獅子といえば、「我が子を千尋の谷に落とす」というあのあまりにも有名な諺についても黒川園長は触れており、ライオンの親子関係について実見したところを書いている。
 中でも特に、病に斃れた我が子に対する母ライオンのふるまいについてが興味深い。

 


 当園の牝獅子の場合にも、子供の病気の時に少しも見てやらないやうな風に見えたこともありましたが、それはもう潔くあきらめてゐたのであったらうと思ひます。それも果敢なく死んでしまふと、誰も手をつけないうちに、自分でさっさと食べてしまひました。そんなところを見れば、実に不可解な疑惑が湧きますが、獅子の習性から考へてみますと、他の者にわが子の死体を弄ばれるのを恐れて、未練なく自ら潔よく処理してしまったのであらうとも思はれます。218頁)

 


 情愛の顕れには違いないが、それにしてもこの苛烈さはどうであろう。
 これなら確かに、我が子を谷底に放り込んで「私の子なら登ってみせよ」とのたまうくらい、平気の平左でやりそうに見える。
 ところがこの母獅子が、次にまた愛児を亡くした時には打って変わって真逆の反応を示すのだ。

 


 また別の子供が病気で死んでしまった時は、冷たくなった我子のなきがらをいつまでも舐めまはして吠ゆるやうに啼いてゐました。ソッと死骸を取除けると、狂ったやうになってその藁を上から下から掻きまはして、一生懸命にさがしてゐました。あまりに可哀さうですから、その死骸を半日ほど入れておいてやりました。(同上)

 


 この差はいったい何に起因するのであろう。


 子の性別だろうか? 『動物談叢』はそのあたりに一切触れていないので、完全に想像任せな考えである。
 黒川園長はただ、

 


 前の場合と後の場合とどちらが獅子の本性であるかは判断できませんが、後者の方により・・真実の情が流れて居りはしないでせうか。(同上)

 


 と、そのように語るのみである。
 手塩にかけて育てた愛猫――そう呼ぶにはちょっと大きいかもしれないが――の上に起こった不幸だ。園長自身、我が身を刻まれるように辛かったに違いなく、これ以上のことを考える気力など、到底残っていなかったのやもしれぬ。

 

 

ジャングル大帝 劇場版 (1997)
 

 

 

 


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