2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧
夢を見た。 電子回路の夢である。 遮光カーテンを閉め切った部屋、薄ぼんやりとした光源。洞窟を思わせる湿った空気を吸いながら、私はただもうひたすらに、めちゃくちゃな桁数の四則演算に取り組んでいた。 道具は鉛筆と藁半紙、それと自分の頭のみ。原理は…
昭和十二年八月某日、オホーツクの沖合で、一隻の日本漁船が拿捕された。 船は二代目おしょろ丸。函館高等水産学校の練習帆船として十年前に竣工されたものであり、その日も同校の生徒二十名を甲板に乗せ、蟹刺網の操業実習を行っているところであった。 (…
人間とは悲しいまでに文化的ないきものである。 無聊に対する慰めなくして、三日と生きれるものでない。 明治三十七・八年、満洲の曠野に展開し、ロシア軍と血で血を洗う激闘を繰り広げていた日本陸軍にあってさえ、ときおり歌舞伎の興行をやり退屈を紛らわ…
船員法の話をしたい。 在りし日の第十二条は、こんな文面であったという。 船舶ニ急迫ノ危険アルトキハ船長ハ人命、船舶、又積荷ノ保護ニ必要ナル手段ヲ尽シ且旅客、海員其他船中ニ在ル者ヲ去ラシメタル後ニアラザレバ其ノ指揮スル船舶ヲ去ルコトヲ得ズ。 不…
故郷を遥か9000マイル。プラネット号と銘打たれたその船は、1907年以降およそ7年間余に亘って赤道付近の海洋調査に従事した。 船籍は、帝政ドイツのものである。 当時彼らがこの一帯に保有していた植民地――ドイツ領ニューギニア――経営の一環たる施策であった…
前回の補遺として少し書く。 貿易を搾取の変態と見、西洋人を膏血啜りの巨大な蛭種と看做したがる傾向は、日本人の精神風土によほど深く根付いてしまっていたらしく、維新後も暫くなくならなかった。 明治初頭の十五年間におよそ三百五十回ほどの農民一揆が…
三代家光の治世に於いて、徳川幕府は国を鎖した。 南蛮船の入港を禁じ、海外居留の日本人にも帰国を許さず、ただ長崎のみをわずかに開けて、オランダ・支那との通商を、か細いながらも確保した。 動機は専ら、キリスト教の浸潤を防遏するため。幕府の求める…
大日本帝国憲法起草の衝に当たった四人の男。 伊藤博文、 井上毅、 伊東巳代治、 そして金子堅太郎。 彼らのうち二人までもが、昭和どころか大正の世を見るまでもなく死んでいる。 まず井上が、肺結核の悪化によって明治二十八年に。 次いで伊藤が、テロリス…
春の足音は恐怖でしかない。 花粉が飛散するからである。 涙と洟とあと色々で、顔面がグッチャグチャになるからである。 今日も朝から頭が重い。 ティッシュペーパーの使用量と反比例して磨り減る鼻下の皮膚層が、またぞろ神経をささくれ立たせる。 ああ、ジ…
あるいは引っ掛け問題として、漢検にでも出題(だ)された例(ためし)があるんじゃないか。 「酒」の部首はサンズイではない。 酉(とり)である。 こいつをパーツに含んだ文字は、大抵酒か、さもなくば発酵製品にかかわりが深い。 酌、酔、酩、酢、酪、醤…
夢を見た。 とち狂った夢である。 紅魔館の庭先で、十六夜咲夜と紅美鈴が相撲をしていた。 むろん、まわし一丁の姿で、だ。 神聖な土俵にあがる以上、当然の仕儀といっていい。 ただ、どういうわけかカチューシャと人民帽だけは、それぞれ被ったままだった。…
「釈迦がどうしてあれほどまでに中道の徳を熱弁したか理解した」 斯く述べたのは山上曹源。霊岳を号する曹洞宗の僧であり、学究の才すこぶる厚く、第十三代駒澤大学学長の座に着いた者。 「およそインド人ほどに、両極端に突っ走りたがる民族というのもない…
良きにつけ、悪しきにつけ。 めしにまつわる記憶というのは容易に希薄化をゆるさない。 生存に直結する要素だからか、当人自身意外なほどに後を引き、ふとしたはずみで表面化して、そのときの行動を左右する。 たとえば宮崎甚左衛門だ。 のちの文明堂東京社…
窓近き竹のそよぎも音絶えて月影うすき雪のあけぼの この歌の詠み手の名を知るや、私が受けた衝撃は、ほとんど玄翁でこめかみを強打されたのと大差ない。 山縣有朋なのである。 それも十三歳のころ、辰之助の幼名時代の作というからいよいよ驚く。 あの沈毅…