穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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人民の 尻を蹴飛ばす 太政官 ―明治初頭の貿易赤字―

 

 前回の補遺として少し書く。


 貿易を搾取の変態と見、西洋人を膏血啜りの巨大な蛭種と看做したがる傾向は、日本人の精神風土によほど深く根付いてしまっていたらしく、維新後も暫くなくならなかった。


 明治初頭の十五年間におよそ三百五十回ほどの農民一揆が起こったが、そのうち結構な割合で、政府批難の口実にこの一件が盛り込まれている。我々の暮らしが困窮するのは、偏に浅薄な西洋崇拝に耽溺する堂上衆が、見境もなく我が国大事の資財を切り売り、要不要を分けもせず、泰西の文物を買い込むからだと。


 困ったことに、実際問題そういう側面があったことは否定できない。当時の貿易収支を一瞥すればよくわかる。

 

 

  輸出(千円) 輸入(千円) 差額(千円)
元年 15553 10693 +4860
二年 12909 20784 -7875
三年 14543 33742 -19199
四年 17969 21917 -3948
五年 17027 26175 -9148
六年 21635 28107 -6472
七年 19317 23462 -4145
八年 18611 29976 -11365
九年 27712 23965 +3747
十年 23349 27421 -4072

 (『明治大正国勢総覧』をもとに作成)

 


 輸入超過の慢性化、たちどころに瞭然たろう。


 均衡もへったくれもありゃしない、不健全極まりないこのていたらく・・・・・福澤諭吉論じて曰く、

 


 開港以来、貿易の有様を見るに、我国は常に利を失ふて、外国人は常に益を得る者多し。故に今日に至るまで、我国に貿易の成長したるに付き、其得失を論ずれば、貿易は我富有を減ずるものと云はざるを得ず。其箇条の一二を挙げれば


一、輸出品少なくして、輸入品多ければ、其出入の差は我負債たらざるを得ず。


二、輸入品は大概製造物にて、輸入品は素質の物なり。之がため我国民は、生産の利を失ひ、兼て又其技芸をも失ふに至る可し。富有の源を塞ぐ大害と云ふ可し。


三、毎年輸出輸入に差あれば、結局其差は外債となり、年々其利息を外国へ払はざるを得ず。今の外債利息も毎年凡そ二百万円に近かるべし。
(明治八年『民間雑誌 第六篇』)

 


 かといって、一揆の連中が無責任にがなり立てる「旧態への回帰」なぞ、今更できるわけがない。

 

 

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 この場合、この世界史的潮流にあって、後戻りは自殺とほぼほぼ同義であった。


 傷を負い、血を流し、肉を散らして犠牲を払いながらでも、前に向かって驀進するより生存の途は他にないのだ。「前」とは畢竟、殖産興業のことを指す。


 国家規模で工業化を推し進め、舶来品に互せるだけの代物を産む。何のひねりもない発想だが、それだけに王道とも言い得よう。現に大日本帝国は、数十年がかりでこれをやり、馬鹿にできない成果を挙げた。


 このあたりの消息は、山路愛山に於いて知るのが好適だろう。名著『現代金権史』から、その軽妙洒脱な筆遣いを抜き出すと、

 


 保守党よりは質素簡易なる皇国の美風を棄てゝ、西洋の真似を致すは不都合なりと叱られ、進歩党よりも余計の世話を焼て人民の進歩を妨害するものなりと罵られたるに頓着せず、銀行も政府自ら模範を造り、製絲場も役人に於て経営し、さアどうだ、是れでも眼がさめぬか、これでも進まぬかと、しきりに人民の尻をたゝき立てたり。(33~34頁)

 


 もっともこの「尻叩き」には相当な危険が伴った。

 

 

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(官営八幡製鉄所

 


 鉄道を敷こうとしただけで暗殺者につけ狙われた、伊藤と大隈の悲惨事をどうか思い起こして欲しい。責任ある政治を行わんとする者は、大抵いつもこんな具合に袋叩きにされるのが、どうやら人の世の通則らしい。

 
 ――古今東西を通して、政治家たるの覚悟は満天下の冷罵と闘ふの一事である。


 との伊藤の言は、一種痛切な響きすらもつ。


 思えば藤公の一生は、没分別漢わからずやに手古摺らされるの連続だった。その果てに、とうとう諦めの境地に達したのだろうか。


『現代金権史』からの引用、もう少し続けて、

 


 明治政府既に国家の勢力を実業世界に拡張し、自ら天下の物産機関を按排せんと覚悟し、馬を乗出したる所にて、扨顧みて此任に当るべき人物を何処に求むべきや。之を其頃の町人に求むるは、木に依りて魚を尋ねるよりも難し。(中略)世界の実業家と馬を並べて競争をなさんとならば、政府は町人よりも、寧ろ教育ある武士の方が、まだ幾分か取所ある様に思ひたり。帳面をつけ、十露盤を弾き、目前の利害を打算することは、町人の長所なれども、世界の形成を察し、外国人の傭技師を使ひこなし、西洋流の簿記法を応用し、大仕掛の大仕事をなすに至っては、どちらにしても素人ながら、町人よりも武士の方が出来さうなり。(34~36頁)

 


 一連の下りの正当性を、我々は渋沢栄一によって確認できる。

 

 

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Wikipediaより、山路愛山

 


 ――それにしても。


 と、嘆息せずにはいられない。


 幕末から明治にかけて掘り下げれば下げるほど、当時の日本が如何に累卵の危うきに在ったか、まざまざと見せつけられる思いがし、これでよく国が潰れなかったものだと感心するやら寒心するやら、ひどく錯綜した名状しがたい気分に至る。


 信心深い手合いなら、神仏の冥助云々とでも言うのだろうが。


 私はただ、明治大帝の御製を口ずさむだけにとどめておこう。

 

 

あし原の国富まさんと思ふにも
あをひとぐさぞ宝なりける
 
 
 


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